ここには私以外誰もいない


君は消えた。私に何も言わず、何の痕跡も残さず、まるで総てが私の長い夢だったとでもいうように。君のいた証は何もない。夢でないと証明するものは何もない。目が覚めた時、隣にいたはずの君はもういなかった。だから誰かに「お前はずっと眠っていた。総て夢だったんだ。そんな男など存在しない」と言われたなら、私は静かに首を縦に振るしかない。夢なんかじゃないと言い切ることはできないのだ。この世界だって総て誰かの夢なのかもしれないのだから。夢だったと断言できたのならよかったのに。そうすれば私は君のことなどすぐに忘れられただろう。普通の夢と同じように。一日を過ごせばその晩にはもう忘れてる。そういう類の夢だったならどれだけよかっただろう。こんな中途半端に現実味を帯びた夢なんかじゃなくて。私は今でも君の温もりを思い出すことができるのだ。私は君の温もりを探して布団の中で寝返りを打つ。身体は君を求める。トントントンと規則正しい音がする。安心する音。そうして、私の髪をやさしくなでる君の手の温もりを。私は手にする。

「おはようございます。よく寝ていましたね。もう目覚めないのかと思いましたよ」

いつものように、君はにっこりとうつくしい笑顔を私に向け、そうしてあたたかく大きな手でまた私の頭をなでる。私はその手を掴む。血が通ったヒトの手だった。私はそのしろくうつくしくいとおしい手を離すまいと必死になる。ぎゅっと握ると君もやさしく握り返してくれた。

「朝ご飯、食べますよね。仕度できてますよ」
「骸、」
「何ですか?」

私は体を起こし、あたりを見回す。昨日と変わらない、同じ部屋。朝の匂いがする。それは君が作ってくれた朝食のおいしそうな匂いであり、太陽の匂いであり、いとしい君の匂いだ。私はそれを胸いっぱい吸い込む。「、?」と私をいささか不思議そうな面持ちで見る君はあれから何も変わっていないような気がした。一体今日はいつだろう?

「私、夢見てた?」

そう聞くと、君はやっぱり微笑むだけで、「どうでしょう?見ていたのかもしれませんし、見ていなかったかもしれません」と曖昧な言葉を残すだけだ。もしかしたら、君がいなくなったというのは私の夢だったのかもしれない。それくらい君は自然に今私の隣にいた。それとも今が夢なのだろうか?それともそれよりもっと前、ずっとずっと私は夢の中にいたのかもしれない。君の、夢の中の住人。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。答えは誰にも分からない。
06.10.04