ぽたぽたと涙が溢れてきて制服に染みを落とす。どうしようもないこの痛みをどこへ持ってゆけばいいのだろう。

「オレを裏切ったな」
「お前本当は雲雀とできてたんだろ」

そんなこと、ないのに。私のさいあいの人はそう言ったのです。そんなこと、ないのに。恭弥となんて付き合ってないよ。付き合ってた過去もない。恭弥はただの幼なじみだよ。そう言っても彼は聞いてくれなかった。

「あいつが昨日オレんとこきたんだよ」

恭弥が?

「なんであんなあぶねーやつがオレんとこ来んだよありえねーよ」
「いのちいくつあってもたりねーっつーの」


私が「恭弥が、何かしたの?」と聞くと彼は「脅された」と短く答えた。そして最後にこう吐き捨てた。

「お前、さいてーだな」

最初、「さいてー」の意味が分からなかった。もっともひくい、と書くのだと理解したころには彼は私の前から消えていた。去っていた。弁解しなくちゃ、と思った。私が恭弥とできてるなんてこと、ないんだよって。ありえないよ、って。言いたかったのに。彼は会ってはくれなかった。メールも返ってこない。電話も繋がらない。そのことによって私は彼との繋がりは一切断たれた。私はまだ彼の何も知らなかったのだ。彼も私のこと全然知らなかったはずなのに。こんなのって、ないと思う。「おまえ、さいていだな」彼の声が響く。わたしさいていだったのかな?わたしはわたしなりに一生懸命だったよ。

私は目の前の男を見つめた。それでも男は私を気にしないかのように視線は机上の紙。ペンを休みなく走らせていた。いつもの黒い椅子に座って窓を背にして、だるそうに私の前にいた。こんなの時間の無駄だとでも言いたげだった。

「なんでそれで僕を恨むのかが分からないな。僕はただ、彼と少し話をしただけだよ。それでただ、本当にのことが好きなのか聞いただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。僕はあいつに何も危害を与えてないし、脅したわけでもない。そうだろ?勝手に怯えているのは誰?」
「だって、だって恭弥は風紀委員長だもの。今までの、数々の恐ろしい噂を聞いてたら誰だって怖がるわ」
「そう言うは全く怖がってるようには見えないけど」
「それは私は恭弥のこと昔から知ってるから。恭弥はいきなり私を殴りつけたりしないって分かってるから」
「だろ?あいつも分かるべきだったんだよ。僕がまだ彼を咬み殺す気なんてなかったこと。僕にさっきがないことを見抜くべきだったんだよ。それなのに彼は勝手に僕を怖れた。弱いからだ」
「弱い、とか強いとかそんなの関係ないでしょう?そもそもなんでで彼を呼び出したりしたの?そんなの、」

理由を聞かないと、納得できなかった。こんなの彼と私の根本的な解決にはなっていないのかもしれないけれども、私と彼が別れる一番となった根本的な理由は恭弥にあるのだからまずは恭弥に会って事実関係を確認しなければならないと思ったのだ。すべて清算しなくては。分かってる、私が恭弥を恨むのは筋違いだ。言われなくても分かってる。恭弥は走らせていたペンを置いた。そうしてほとんど面倒くさそうに言った。

「ねぇ、そろそろ気付いたら?君は騙されたんだよ」

ダマサレタンダヨ。ああまただ。どうやら私の言語能力は低下しているらしい。ダマサレタンダヨだまされたんだよ騙されたんだよ。その言葉がゆっくりと私の脳に届いて、心に届いて、刺さった。

「何を言い出すの…?話をそらさないで」
「僕はとあの男が付き合うのを反対していたわけじゃないんだよ?彼が本当に君のことが好きで、彼が本当に君を幸せにしてくれるならね。だから聞いて確かめただけだったんだ。それなのにあの男は勝手に僕を恐れて君を捨てた」
「だから、それは恭弥が」
「あいつの思いは所詮その程度のものだったってことだよ。君を思う気持ちより僕への恐怖の方が大きかった。そんな奴にを渡すことなんてできないな」

ぽたりぽたり。またひとつ、またひとつ、制服に涙の染みが増える。視界は常に歪み続ける。「おまえとんでもねーやつだな」あれはいつのことだったろう?ある人は頬を大きく赤く腫らして私に言った。あれは彼が怪我をしたと聞いて私が病院に駆けつけたときのことではなかっただろうか。

「ひどい…。なんで余計なことをするの?今までもそうでしょう?一体いくつ私の恋を奪ってきたの?一体何度そういうことをしてきたの?」
「知りたいなら言うけど、その中にろくな奴はいなかったよ。本気で君を思っていた奴はいなかった、誓ってもいい。興味本位や遊びのつもりの奴とか、君が僕の幼なじみであることを利用しようとする奴、とかね。今回の奴だってそうだったんじゃないのか?心にやましいことがあったから逃げた。違う?」
「例えそうだとしても、構わないわ…」
「嘘だね。君は必ず泣くと思うけど。今だってその事実を聞いて、少なからず傷ついてる。それ以上の不幸が君に降りかかってくるんだ。はそれに堪えられる?無理だよ。身も心もボロボロになるだけさ」
「だからって、恭弥には口出しする権利なんてないわ」
「そうかな?少しはあると思うけど」

いくら幼なじみだからって。私はあなたのものじゃないのに。誰がそこまでしてくれって頼んだの?彼はため息混じりに言った。ねぇ

「彼らは君が裏切ったと言っていたけれども、本当に裏切られたのは君だよ。分かっているだろう?本当に可哀想なのは、君」

彼の言葉はナイフのようだ。ひどく鋭く研がれたナイフ。なぜならそれはきっと真実だからだ。真実は一番人を傷付ける。信じなければよかったのだ。信じなければ裏切られることもなかったのに。傷付くこともなかったのに。

「僕は君が裏切られて傷付くのを見たくなかったんだ。君が悲しむのを見たくなかったんだよ」

今、私を傷付けているのはあなたなのに?こんなこと知りたくなかったよ私は。悲劇のヒロインなんて、望んでない。でも。でも、恭弥は嘘をつかない。昔から、嘘はつかない。「恭弥、」小さく呼んでみた。分かってる、全部私を思ってしたことだって分かってるよ。いつだって恭弥は私を一番に思ってくれている。

「前から思っていたけれど、君って存外鈍いよね。僕がただの幼なじみにこんなことすると思う?僕が好きでもなんともない子にこんなことすると思う?答えはノーだよ。」

そうして彼は一音一音ゆっくりと、私の脳に、心にしっかり届くように言った。、好きだ。」ちゃんと届いたよ。彼は音もなく立ち上がり、いつの間にか私のすぐそばまできていた。そうしてひどくやさしく私を包み込んだ。

「選びなよ、僕は君を裏切らないから」

僕は、絶対、君を裏切らない。私は恭弥のこの言葉なら信じられるだろうか。

06.12.26//(K)