「フゥ太くん…、どうしたの?」
さん、少し散歩に行かない?」

数ヶ月ぶりに日本に帰ってきた彼はふわっとした微笑とともにそう言って私を誘った。しばらく会わない間に彼はまた少し背が伸びたなぁと思った。彼はまだ成長期が続いているらしくぐんぐん伸びている。私の背なんてとっくに追い抜かされている。「いいよ」と答えれば彼の「やったぁ」と無邪気に喜ぶ姿は昔と一緒で。

「フゥ太くんはどこか行きたいところある?散歩だから目的地なんてなくてもいいんだろうけど」
「うーん、僕はこの辺のお店とかよく分からないから」
「そっか」
ちゃんの行きたいところがあればそこでいいよ」
「あ、この間京子がおいしいっていってたケーキ屋が確かこの辺りにあるよ」
「京子姉が?」
「京子には会った?」
「ううん、こっちに来てからまだ姉にしか会ってないよ」

「いいの?」と聞いた。私に会っただけでいいの?の「いいの?」であり、京子たちに会わなくていいの?の「いいの?」であり、今私とこんな風に散歩していていいの?の「いいの?」だった。彼には他にももっとやるべきことがあるように思えた。「いいんだ」彼はくるりとこちらを向いて言った。

「僕はずっとに会いたかったんだから」

笑顔で全てはぐらかされてしまったように感じた。私の「いいの?」の意味を全て見透かされてしまったようにも思えた。「さんは、」と彼は口を開いた。

さんこそ、忙しくなかった?」
「私は大丈夫。すごく暇していたところだったから」
「丁度よかった?」
「丁度よかった」
「そっか、よかった」

ふと、彼が空を見上げた。私もつられて上を見る。「ちょっと急いだ方がいいかも」と彼が言うのと同時にぽつりと私の顔に雨粒が落ちてきた。ああ、そういうことか、と私は理解する。「ちょっと走ろう」と彼が言い私の手首を掴んで、走り出す。そうしている間にもぽつりぽつりと少しずつ雨は私たちを濡らし始めた。目的地であるケーキ屋はそんなに遠くはなかったのだが、あっという間に雨は強くなって髪の毛が顔に張り付いた。やっとの思いでケーキ屋に辿り着いたのに、

「今日はお休みだったね」
「ついてないね」
「雨も降るしね」

私たちはケーキ屋の軒先で扉に掛かったclosedという看板を見ながら言った。彼は雨を被った前髪を書き上げ、どんより重い雲を見上げる。ここの天気は急に変わりやすいから嫌だなと彼は呟いた。

「濡れちゃったね」

そう言って彼は私の髪に触れた。そのあまりにも優しい手つきにドキッとした。ああ、きっと「大丈夫?」覗き込む彼の瞳は澄んでいて、中できらきら輝いていた。

「だい、じょうぶ」
「ごめんね、僕が散歩に誘ったから」
「 フゥ太 のせいじゃないよ」

すると彼は一瞬ぴたりと動きを止めて、それからへにゃりと表情を崩して笑った。「ありがとう」彼は昔に比べて多くの顔を見せるようになったなと思った。こんな顔もするんだって。それだけで散歩に出た価値はあったなと思った。たとえ雨に降られたとしても、プラスマイナスゼロだ。「もうすぐ雨止みそうだよ、姉」彼の私を呼ぶ声も嫌いじゃない。雨足は少しずつ弱まっていく