私が訪ねると彼はちょうど荷物を詰め終わったところで、パタンとトランクの蓋を閉めた。彼は私を振り向いて、いらっしゃい、と言った。

「また出掛けるの?ついこの間までどっかに行ってたじゃない」
「どっかじゃなくてインドだよ」
「インドには何しに行ったわけ?」
「インドゾウに会いに?」

そう言って彼はふふっと笑った。彼の部屋は家具も少なくがらんとしていて広い。ベッドにもしわひとつなく、ここは誰も住んでないんだよと言われたら信じてしまいそう。それくらい人が生活している気配が希薄だった。もちろん本当にこの部屋に人がいることの方が珍しいからそれは嘘じゃない。彼はいつも家にはいなくて、いつもどこかを旅してる。インドの前はどこだったけ?

「今度は、どこへ行くの?」
「んー、まだはっきり決めたわけじゃないんだけどアラスカにでも行こうかなって思ってる」
「アラスカに何しに行くの?」
「シロクマに会いに」

そう言っては彼はまた笑う。一体何が面白いんだか。「安心して。シロクマとお友達になったらちゃんとのこと紹介してあげるから」私は一体何に安心すればいいのかさっぱり分からない。

「私シロクマが大好きなの。ちゃんとシロクマさんに好印象を与えておいてね」
「分かってるよ。はおそろしくチャーミングな女の子だって言っとく」
「よろしくね」

私はにっこりと笑顔を顔面に貼り付ける。彼も笑っている。だけれど彼は本当のことを話してはくれないのだ。私達は意味のない冗談を言い合うだけ。本当は行かないで、って言いたい。顔には出ていたいと思っていたけれど、そんなにつらそうな顔してたかな?

「ねぇお願いだからここで泣かないでね」
「なかないよ」
に泣かれたら僕離れられなくなっちゃう」
「だからなかないってば」

本当かな?と彼は言った。でも僕がいなくなってからひとりで泣くんでしょ?そりゃそこまで約束はできないよ、と私は正直に言った。ひとりで泣かれるのも嫌だなぁ、と彼は勝手なことを言う。じゃあさ、

「今回は無理だけど、つぎはも連れてってあげるから。そしたら絶対泣かないでよ。ね?」
「どこへ連れてってくれるの?」
「どこがいい?」
「オーストラリア。オーストラリアでコアラ見たい」
「いいよ。コアラもカンガルーも何でも見せてあげる」

僕もまだオーストラリアには行ったことないな、と彼は呟いた。そういえばオーストラリアのカンガルーの数ってオーストラリアの人口より多いらしいよ。本当かな、って今度は私が思った。本当かな?彼がこんな風にどこかへ連れてってあげると言ってくれたことは今まで一度もないし、約束本当に守ってくれるのかなって思うよ。前回本当にインドに行ったのかな、今度は本当にアラスカに行くのかな?疑っちゃうよ。

「シロクマもいいけど、コアラもかわいいよね」

楽しみだなぁ、と彼が本当に嬉しそうに言うので、真実なんかどうでもいいかな、と思ってしまった。どうでもよくはないけど、彼がそう言うんだったらいいかなって。つまり信じてみようかなって思ったっていうこと。嘘だとしても、それをばかみたいに信じちゃおうかなって。

「できるだけ早く帰ってきてね。寄り道しちゃダメだよ?」
「しないよ」

気をつけていってらっしゃい、と言うと彼ははにかんで「いってきます」と言った。シロクマさんには美人で性格も良いとても素晴らしい女性だって言うのを忘れちゃダメだからね。 分かってるよ、と彼は笑って答えた。