あの時のことを私は思い出していた。

もう随分昔のことなのに、バッと一瞬であの時の映像が私の頭で再生された。一番最初の日、始まりの日、私たちが出会った日。出会った瞬間うわぁと思った。何にそう思ったかは忘れてしまった。彼の独特のやわらかい雰囲気だったのか、その風に揺れる髪だったのか、その澄み切った蒼眼にだったのか。きっとそれら全部だったのだと今となっては思う。その時はあまりにも強烈な印象によってすぐに思考回路が停止してしまった。ただ、

「初めまして、バジルといいます」

と差し出された右手だけははっきりと覚えている。握手を求められた右手。私はそのとき一瞬躊躇した。こんな風に握手を求められたのがとっても久しぶりだったから。普通の女の子である私には握手する場面なんてそうそうないから、どうしていいのか分からなかった。でも無邪気に差し伸べられた手をそのままにしておくことは出来なくて、私は恐る恐る手を差し出した。すると彼はその私の手を両手で包み込むようにぎゅっと握った。そして私の目を見て、にっこりと笑顔で言ったのだ。

「よろしくお願いしますね」

その瞬間私の右手がビリビリと電流が流れたように痺れた。その電流は腕を通って胸まで達し、私の心臓をドキドキと不規則にさせた。息が詰まるみたい。慣れないことをしたからだと思った。握手とは言え、男の子に手を握られるなんてことあまりなかったから。だから。 そのとき私は何と返したのだっけ?普通によろしくと言えたのだろうか?忘れていないと思っていたけれど意外と記憶は穴だらけだったみたいで、部分部分ははっきりと覚えているのに、細かいことは忘れてしまっている。でもあの人の手の温かさと、あの笑顔だけは。たとえ忘れたいと願っても、私の心にこびりついて離れない。きっとあの時もうすでに決められていたのだ。このあと私がどうするかなんて。

殿、いきましょう?」

あの時とまったく同じように彼は私に手を差し伸べた。でもそれは握手を求めるものでは決してなくて。 それでも、また差し伸べられた手を取ってしまう予感がした。
 

彼が差し伸べた手を見つめながら