廊下の角を曲がると、さらりと揺れる髪が見えた。ドキンと心臓が飛び跳ねて、拍子に抱えていた本がドサドサと床に落ちた。彼が振り返る。青い目が―――

「あ、先生だ!」

青い目が、私をとらえることはなかった。私とは反対側から女の子が三人ほど来て彼に声を掛けたので、彼は反射的にそちらを向いたのだ。女生徒がきゃっきゃとあっという間に彼の周りをとりまく。うらやましいなぁと思う。思いながら私はいそいそと落とした本を拾う。ちらと顔を上げると女の子と先生が楽しそうに笑ってる。まるで彼のいるその空間だけキラキラと輝いているみたいだった。いつもにっこりとやさしい笑みを崩さない彼は陽だまりみたい。ぽかぽかとあたたかくて、光がキラキラと眩しいんだ(私には眩しすぎるほどに)。いつの間にか手を止めて彼をじっと見つめてしまっていたことに気付いて、私は慌てて残りの本をかき集めた。だ、誰にも見られてない、よね?焦って前後を確認したかれど後ろからは誰も歩いてこなかったし、前は先生とその女生徒だけ。彼女らが私に目を向けた様子はない。少しだけほっとして、本を片手に立ち上がる。今度は落とさないようにしっかり胸に抱えて。そして来た道を引き返した。タッタッタッタッ。速くない走るスピード。タッタッタッタッ。その音が廊下にこだまする。目的地、図書室はあの廊下の向こうだったのに。私は彼が眩しくて、わざわざ引き返すことを選んだ。

「バジル、先生」

遠回りしてでも避けたかったのは、もしかしたらあの女の子たちだったのかもしれない。快活で可愛らしい、女の子をしている彼女たち。私も先生の前ではそうありたいのに。彼を前にすると心臓がうるさくて、顔に熱が集まってきて、頭の中が真っ白になる。私らしくない。先生の前でも自然体でいられたら。私にはできそうにないそれをしている彼女たちが眩しかったのかもしれなかった。私は全然ダメだなぁ。せっかく先生に会っても目を合わすこともできずに。授業中あてられても、先生に名前を呼ばれただけで答えが頭からすっぽ抜けちゃうし。いつあてられてもいいようにちゃんと予習してるのになぁ。先生の前だと私ダメダメだ。
ぴたりと足を止めて、バジル先生、と今度は心の中だけで呟く。大好きです、バジル先生。

「これ、落とされましたよ」

え?っと反射的に振り返るとそこには青い瞳。またドキンと心臓が高鳴る。また本を落としてしまわないようぎゅっと強く抱えた。

「このしおり、そうでしょう?」

彼が差し出したのは確かに私のものだった。小さな押し花のしおり。なんで先生がこれを?と私が疑問に思ったのを見透かしたように「さっき廊下で拾ったんですよ」と彼は言った。「あ、ありがとうございます」と彼の手からそれを受け取る。声がかすかに掠れてる。

「また、図書室に行くのですか?」
「はい…」
「読書家、なんですね」

にっこりと私だけに笑顔を向けて彼は言った。「そんな…!」と言った瞬間本が落ちた(…)。大きさのバラバラの本をさっき落としたとき適当に拾ったから。今度は手に力を込めすぎてバランスが崩れたようだった。抱えた真ん中の二冊がすっぽり落ちてる。恥ずかしい!やっぱり私先生の前だとドジばかりしてる…。顔に熱が集中するのを感じながら拾おうとかがみこむと、それより先に別の手が伸びた。

「大丈夫ですか?」
「本当すみません…!」
「いえいえ。さっきは拾ってあげれなかったので」

私、先生と喋ってる。そう思うと緊張してきた。髪とか、変じゃないよね?さっきトイレに行ったとき、きちんと直しとけばよかった。服は、制服だから平気だと思うけれど、やっぱりこんなことなら昨日もっときちんとワイシャツにアイロンかけておけばよかったとか、埃ついていないかだとか、色々心配になってしまう。多分彼はそんなこと全く気にかけないだろうけど。「はい、どうぞ」と彼は私に本を差し出す。私はそれを受け取ってまた、ぎゅっと胸に抱えた。私が本を拾うのを手伝えなかったことを思ってくれたことが嬉しい。バジル先生、とても、やさしい人。

「私、好きです」
「?」
「バジル先生の授業…」

私は、何を言っているのだろう。ばかだ。どうせなら言ってしまえばよかったのに。一度口に出したならきちんと伝えればよかったのに。せっかくのチャンスなのに。もしかしたらもう二度とこんなチャンス巡ってこないかもしれないのに。でも、好きだ、と思わず口に出してしまったその衝動的な想いだけは本物、です。
後に続けて繕ったものの、唐突にこんなことを言ってしまった自分が恥ずかしくなって、私は伏せた視線を上げられなかった。変な子だと、思われなかったかと。勇気を出して、ちらと先生を見上げると、彼はあの青の目をやさしく細めて、あたたかい手で私の頭をなでた。

「ありがとうございます」


私を見下ろした目は

  優 し か っ た

誰よりも。何よりも。