誰もいない、ひっそりと静まり返った体育館裏。誰もいないはずのその場所に彼は立っていた。
「バジルくん、」
私が思わず声を掛けると彼はゆっくりと振り返った。まるでスローモーションのように。けれども流れるように。髪が風でふわりと揺れた。ふわり、ふわり。
「ああ、殿、」 「こんなところでどうしたの?」 「ええっと、それが、」
バジルくんとはクラスメート。そんなに仲が良いわけではないけれど、話さないわけじゃない。彼はこんなところで、こんな放課後に一体何をしているのだろう?ただのほんのちょっとした好奇心。私が自転車を押しながら歩いて近づくと、彼はちょっと困ったような顔をしてから、ごそごそとポケットから何かを取り出した。白い、それ。
「さっき、下駄箱にこれが入っていたのです」
そう言って彼は一枚の紙をひらひらさせた。彼からその紙を受け取り見せてもらうと小さい字で体育館裏で待ってます、とだけ書いてあった。名前はない。何の変哲もない、ただの紙だけれどその一言だけでとても重い意味があった。かわいいメモ帳じゃない、けれどもその分白い紙に黒い文字がくっきりと浮かび上がって、私はなぜだかその紙から目が離せなくなった。下駄箱、手紙、体育館裏、かわいい字、待ってますの言葉。それらが指し示すのはひとつしかない。
「これって告白の呼び出しじゃないの?」 「殿もそう思いますか」
しれっと彼は言った。こういうことに慣れているかのようだった。そうだよね。バジルくん、きれいな容姿だし、いかにもモテそうだもんなぁ。かっこいいもん、ね。っていうか実際モテてるしね。クラスでも結構人気がある。やさしいし。何組だっけ?D組?の名前も忘れたけどかわいいって有名な人がバジルくんに想いを寄せてるとかいないとか。あの子はもう告白した、のかな?積極的そうだからもう告白してそうだな。でなければ、現在猛烈アタック中とか。どうなんだろう、もう付き合ってたりとかするのかな?聞いてみたいけど、聞けない。
「これ、私に見せちゃっていいの?」 「しばらく待っていたのですが来られないので」 「来ないの?もしかしたらその辺で見てるのかも。ほら、勇気が出せなくて。私、」 「いませんよ、ここには拙者と殿以外。いれば分かります」
そう言って彼はにっこり笑った。不思議な笑みだった。まるで吸い込まれるような。そういうば、最初に彼を見たときもこんな笑顔をしていたなぁ、なんてぼんやりと思った。
「どうして分かるの?隠れてるのかもしれないよ。やっぱり恥ずかしくて出てこられないだけかも」 「ありえません。分かるんです気配で」 「気配?」 「はい」
確かに耳をすませても人が近くにいるような音はしなかった。聞こえるのはグラウンドの運動部の掛け声と、校舎の隙間を駆ける風の音。それと、私の心臓の、音。彼はそのまま何でもないかのように続けた。
「だから殿が来たとき、とっさにおぬしがこの手紙の主かと思いました」 「あはは、まさか」
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