走る、走る、走る走る走る。どこにいるのです?こんな雨の中。一体どんな想いで?(ああ、なんて自分は無力なのだろう)
聞かなければよかったと。そう頭の片隅で後悔した。沢田殿から「さん振られたらしいよ。学校で聞いた噂だけど」なんて言葉を聞かなければ今自分はこうして雨の中走ることはなかったでしょう。こんな、胸締め付けられることもなかったでしょう。すべて、それが殿のことだったからです。好きでした、彼女のことが。だからこうして、どうしようというわけではないのに彼女を探して走っているのです。(なんでこんなにおぬしに会いたいのでしょう?)どうしても会わなければならないという衝動。(それとも願い?)大切で大切でしかたなかったのに、いつの間にか、知らないうちに彼女がいなくなってしまったような錯覚に陥る。(最初から自分のものではなかったのに)いつの間にそんな遠い存在になってしまったのでしょう。ついこの間彼女は拙者の隣で楽しそうに喋っていた、一緒に笑ったというのに。大切だった。多分、拙者にとって一番大切なものだったのですよ、おぬしの存在は。(こんな思い知らされてから気付くなんて)(殿は拙者のことなど何とも思っていなかったという事実)
「…殿」
ぽつりと呟いたその声は雨に吸い込まれて消えた。夜の公園に彼女はいた。そっと俯いて、ぼんやりと明るい街灯の下に立っていた。柔らかな光が彼女と傍らのベンチを浮かび上がらせ、静かに降る雨が彼女の姿を霞ませる。その彼女の姿はなんだかとても神聖なもので触れることすら許されないような。
「どこへ行くのですか?」
そっと彼女の肩に手を置き、傘を差し伸べる。すると彼女はハッとこちらを振り向き、拙者の瞳を射るのです。そして彼女の瞳が悲しみで霞むのを見ることになる。頬を伝うその水はこの雨でしょうか、彼女の瞳から零れ落ちたものでしょうか?
「バジルくんには関係のないことです」
それは拒絶の言葉でした。けれどもその声は確かに彼女のものだったので、全然冷たく聞こえなかった。拙者には殿の悲しみは分かりません。拙者は日本に来て殿に出会ってからまだ間もないのです。埋めることの出来ない時間。もっと早く出会っていれば何かが変わったでしょうか?何も知らない自分。彼女に想い人がいるだなんて知らなかった。だからおぬしが涙する相手の名前も知らなければ顔も知りません。(それはそれでよかったのかもしれません。殿を悲しませる相手だと知ったらその男を殴ってしまうかもしれませんから)殿にはずっと笑顔でいてほしいからそんな男なんか好きになってほしくなかった。(拙者はその男を憎みます)こんなのエゴでしかないけど。(本当に、拙者は自分のことしか考えてないのです)
「話し掛けないでください。優しくなんて、しないでください」
搾り出すような声で彼女は言った。彼女は本当に優しいから、それは精一杯の拒絶だったのかもしれない。けれども拙者は優しくないので彼女の願いは聞けません。そんな無茶言わないでください。優しくします。してしまいます。殿が好きなのですから。自分は所詮偽善者なのかもしれない。こうして彼女が弱っているときに優しくして、殿の心がこちらへ傾けばいいだなんて(ずるい)今の自分に彼女を追いかける資格などないことぐらい分かっています。だけど拙者はおぬしのことが好きなのですよあいしています。誰よりも大切でいとしい。何も知らないかのように装って、そっと彼女の肩を抱く。頬を濡らす涙を拭ってやる。(そのまま口付けてしまいたいだなんて)心の雨が落ちる 06.08.25
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