私はバイトの泉さんが少しだけ苦手だ。

「いらっしゃいませー」

私はお客さんに向かって笑顔を向ける。けれども、隣にいる泉さんはそれ以上の笑顔で迎えていた。私には決して真似できないような素晴らしい営業スマイル。わざとらしさがない。これぞ満面の笑顔というやつだろう。こんな笑顔を向けられればお客さんはさぞ満足だろう。

「ありがとうございましたー」

けれども私にそれが営業用だと分かっている。お客さんがいないときの彼はとても無愛想だと知っているからだ。彼がお客さんに満面の笑みを見せるたびに私は複雑な心境になる。きっとすぐに泉さんは無愛想な表情に戻る。実際お客さんが見えなくなると泉さんはふと笑顔を消して、少し不機嫌そうな顔で作業に戻った。私はそれが少しだけ怖かったりする。あまりにも切り替えが完璧すぎるから。泉さんは決して強面なわけではないし、ごつくて、背が高いわけでもない。どちらかと言えば目が大きくてかわいい顔をしている、と思う。けれどもそれを本人には決して言えない。言ったらどうなるか分からない。絶対この先口を利いてくれなくなるんじゃないかという雰囲気がある。円満にバイトを続けていくためにはそれを口に出してはいけないのだ。

さん、」

もちろん、泉さんも年がら年中無愛想なわけではない。他のバイトの子を交えたときは今よりもう少し笑顔を見せて喋る。私とふたりきりのときが特に無愛想だ。だからといって、嫌われているわけではない、と思う。昼間バイトの人数がいるときに話しかければ他の子と変わらない態度で話してくれるし、今だって話しかければ答えてはくれるのだ。愛想はないけれど、嫌な顔ではない、と思う。

さん、」
「え?」

そこでやっと彼が私の名前を呼んでいたことに気付いた。まさか泉さんが声を掛けてくるとは思っていなかったから、完全に油断していた。見上げると泉さんの男の子にしては少し大きな両眼が私を真っ直ぐに見つめていた。

「何ボーっとしてんすか」
「ご、ごめんなさい」
「別に客来てないからいいすけど」

怒っているようにも聞こえる声。でもそれは私の思い込みなのかもしれない。泉さんは私だけでなく、他の人とでもふたりきりになるとあまり喋らない人なのかもしれない、私はそう思い込むことにしていた。

「何か用事…、ですか?」
「いや、客来なくて暇だから声掛けただけ」

こうして、たまに向こうから話しかけてくれたりもする。ふいに話しかけてくるので私は上手く答えられないことが多いのだけれど。嫌いだったらこんな雑談なんてしないんじゃないかと思うから、私はまだ希望を捨てきれないのだ。

「いくら暇だからってさんぼーっとしすぎ」

きれいな笑顔でそう言うから、私はまだ希望を捨てきれないのだ。泉さんが私に笑顔を向けるのを見たのは初めてだなと思った。いつもお客さんに向ける横顔しか見ていない。正面から見るとますます完璧な笑顔だと思った。笑った顔を見せられたことで私は少しだけ安心した。

「私、泉さんの笑顔好きです」

そして安心しすぎて余計なことまで口走った。泉さんがいつもより少し目を大きく開いてこちらを見つめている。私はハッと我に返り、しどろもどろに弁解する。

「えっと、そういう意味じゃなくて、いつもお客さんが来たときすぐ笑顔に切り替えて、そうやってすぐ笑顔を作れるのってすごいなって思って」

そう思っているのは本当だ。私は本当にそう思っているんですよ、泉さん。心の中ではかなり必死で説得する。でも口から出る言葉は途切れ途切れで、上手く繋がっていない。それでも、少しでも思っていることを伝えようとして、少しでも説得力のあるように聞こえさせようとして、言葉を積み上げる。

「私、泉さんのこと尊敬しているんです」

そう締めくくると、やはり泉さんはぽかんとした表情をしていて、ああやってしまったと思った。こんなに泉さんに仕事のこと以外で喋りかけたのは初めてだと気が付いた。こんなにぺらぺら喋りだして、彼は引いているんじゃないか。しかも内容が内容だ。引かれても仕方がない。やっぱり喋らない方が良かったと後悔していると、固まっていた泉さんが表情を崩した。小さく笑い声が上がる。

さんって面白い人だな」

と言ってはまた笑い続ける。私が泉さんを苦手だと思っていたのは、彼に嫌われるのが怖かったからだ。今はかろうじて嫌われていないようだから、それを崩さないようにびくびくしていたからだ。いつも緊張しているから、苦手。

「あんなのただの営業スマイルっすよ」

そう言って見せた今の泉さんの笑顔はきっと営業スマイルではないに違いない。ふっと自分の力が抜けるのが分かった。本当に泉さんの笑顔はすごい力があるな、と思った。思っていたよりも彼は話しやすい人物なのではないかと私は考えを改めることにした。

たからものを埋めるように