「ところで、秋兵さんとはどうなの?」

千代が顔の前で両の手を合わせ、目を輝かせてこちらを見つめている。こういうときの千代はいつも生き生きとしている。梓に助けを求めようと顔を向ければそちらもきらきらとした目でこちらを見ていた。ふたりが何を期待しているか知れないが、私の答えはひとつなのだ。

「どうなのと聞かれても……。何もないよとしか」
「でも秋兵さんとは幼馴染なのでしょう? あんな素敵な殿方が身近にいて何もないなんてこと、ないわよね?」
「あのねえ、秋兵兄さんは私を生まれたときから知ってるのよ? 年も離れてるし、そんな気起きるわけないでしょう?」

自分で放った言葉にチクリと胸が痛んだのは内緒だ。全部事実のはずなのに今さら痛むのはおかしい。家同士の付き合いがあり、幼い頃から知っている私のことを彼は妹のようにしか思っていない――はずだ。

正直、梓の言う恋バナというものが私は苦手だった。千代と梓の話を聞くのは好きだ。でも、すでに素敵な相手のいるふたりと違って私の話すことは何もない。それが少しだけ居心地が悪かった。

「あら、そんなの関係ないじゃない」

そう言える千代の強さを羨ましく思った。



千代があんなことを言うからだ。隣を歩く彼をいつも以上に意識してしまうのは。

「どうしてついてくるの?」
「この辺はまだ怨霊が出るとの噂があるんです。そんなところをひとりで歩かせるわけにはいきませんから」
「そんな噂聞いたことないわ。昨日梓も千代も何も言っていなかったし」

母がお世話になった方へお礼の品を渡すお使いの帰り道にたまたま巡回中の秋兵兄さんと出会った。私がひとりだと知ると彼は部下へ巡回を続けるように言い、自分はしれっと私のあとについてきたのだ。

大抵怨霊騒ぎのあった場所や自分たちがこれから巡回を強化するようなこれから怨霊が出る可能性の高い場所は梓と千代が教えて警告してくれる。しかし昨日はそういう話は聞いていない。あのふたりに限ってこういう大切な話をし忘れるということも考えにくい。

「第一、そんなこと言い出したらこの帝都はどこも怨霊が出る可能性があるじゃない。巡回も強化されている様子はないし、他の地区に比べて特別危険なようには思えないけど」

通りのお店は普通に開いているし、いつもと変わらず活気がある。人々が怨霊に怯えて生活しているようには見えない。精鋭分隊の副隊長を護衛につけて歩かなければいけないほどの危険があるようには到底思えないのだ。

「だから秋兵兄さんは早く自分の任務に戻って」

帝都に尽くす彼をこんなところで引き止めて良いわけがない。何故こんなにも彼が頑なに私についてくるのか分からないが、これでは結果的に私が仕事の邪魔をしているのと同じだ。そんなことをしたいわけではないのに。

私に怨霊と戦う力がなく、身を守る術も持たないのは事実だが、だからこそ足を引っ張るような真似は絶対にしたくない。

「今日の君はいつも以上に聞き分けがありませんね」
「秋兵兄さんが道理でないことを言うからじゃない」

こんなのはただの過保護だというのに、それを彼は分かってくれない。こんなに物事が分からない人ではないはずなのに、今日の彼は何故か頑なだった。いつもは言わなくったって私の気持ちを汲んでくれるのに。

「僕をあまり心配させないでください」

彼の中で私はいつまでも『小さなちゃん』なのかもしれない。確かに立派な大人とは言い難いし、出来ないことも多いけれど、一から十まで面倒を見てもらわなければいけないほど幼くはない。私にとって彼はもうただの『秋兵兄さん』ではないのに、と恨めしく思う。

「でも、もう私は子どもじゃないわ」
「それを、僕が知らないとでも?」

彼にしては珍しくほんの少し自嘲が混じった声色だった。ハッとして彼の顔を見ると、もうすでにいつもの彼と変わらない表情で、そこに苛立ちや不機嫌さなんかはどこにもなかった。

「分かったら淑女らしく僕に守られてください」

そう言ってわざと恭しく私の手を取る。掬い取られた右の手をどうしたら良いのか分からなくて、結局ちょこんと彼の手のひらの上に乗せているしかなかった。

「いつも私のことをおてんば娘だって言うくせに……」
「おや、そんなこと言いましたか?」
「都合の悪いことはすぐそうやって忘れたふりして」

いつも私の素行をおてんばだと笑うくせに。もっとも学校の友達は私よりもずっときちんと淑女としての作法を身に付けているから、彼のことを責められやしないのだ。それに、彼の笑う顔は私を馬鹿にするものではなく、ただ楽しそうに笑った顔を見せるものだからそんな風に言われるのもさほど嫌ではなかった。

「でも先ほどの言葉は本心ですよ」

彼の言葉は戯曲のように美しい装飾で縁取られ私を惑わすのに、決して嘘を織り込んだりはしないのだ。十も離れ、彼からすれば子どもにしか見えないだろう私にいつも誠実に接してくれる。私に誠実であろうとしてくれていることは、言われなくても知っている。

「君がただ守られるような女の子でないのは知っています。でも、それでもどうか、今だけは僕に守られてください。ね?」

そんなことを言われては、自分が特別だと勘違いしてしまう。私は彼の妹のような存在で、決してその言葉に恋愛感情は含まれていないと分かっているのに、『家族のように特別』と『女の子として特別』を取り違えてしまいそうになる。そうでなくとも、彼がこんな風に甘い台詞を息をするように言える男だということも私は十分理解しているはずなのに。

「今だけよ……」
「ええ、それでも構いません。僕がそうしたいだけなんですから」

結局は絆されてしまう。彼はいつもと同じやわらかい瞳でこちらを見つめて、夜会でエスコートするかのようにやさしく私の手を引いた。

2017.03.26