「へえ、君はそういうのが好みなのか」
急に後ろから掛けられた声に私は飛び上がるほど驚いた。全く人の気配に気が付かなかったからでもあるし、その人物が長嶺雅紀だったからでもあるし、思ったよりも近くで声が聞こえたからでもあるし、その言葉の内容も原因でもあった。
「ちょっと! 戻ってきたなら普通に声掛けてよね!」
「私は普通に部室に入った。気が付かない君が悪い」
そんなにぼんやりしていたつもりはなかったけれど、長嶺がこっそり部室に入ってくる理由もないのも分かっていた。
「そんなにその雑誌に夢中だったのか?」
わざわざ話題を戻す長嶺は意地が悪い。どうせ雑誌の内容になんて興味はないのは分かってる。眼鏡の奥の瞳はじっと私を見ていて、私の反応を楽しんでいるだけなのだ。
雑誌の中身も最初に後ろから覗き込んだときにしっかり見たに違いない。眼鏡を掛けたインテリ風の俳優が載っているページが開かれていることを。ついでに言うとブラバン部の女子の間でこの雑誌に載っている俳優が少し長嶺部長に似ていると話題になっていることもすでに彼は耳にしているに違いない。
この俳優自体はそれほど似ているわけではないけど、この角度の、この撮影用の眼鏡を掛けているカットは長嶺に似ているというのだ。だからこそ音楽に関係ない雑誌がブラバン部の部室にあるわけなのだけれど。皆で散々似てるだの言うほど似てないだの騒いだあと置きっぱなしにされていたのだ。
「別に。たまたま置いてあったから眺めてただけだけ。ちょっとぼーっとしてた」
不用意にそれを眺めていた自分を呪いながら、ページを閉じる。正直に言うとその写真は少しだけ長嶺に似ていた。口元が似ている。視線の向け方が似ている。腕を組んでいるときの指先が似ている。ひとつひとつ思い出しながらなぞっていく。
「部室の鍵、締めなきゃいけないから待ってたの」
「それは悪かったな」
部活動が終わったあとに長嶺は部長として顧問と少し話があると職員室に向かったくせに何故か荷物は部室に置きっぱなしにしていた。本来ならば鍵当番がどうにかすべきなのだけれど用事があるとか何とか言って私に押し付けて帰ってしまったのだ。どうせ阿藤のことだ、大した用事もなく面倒だからという理由に決まっているのに勢いと彼の逃げ足の速さでまんまと押し付けられてしまった。
「もう、さっさと荷物まとめて。早く帰ろ」
言いながら自分の鞄を肩に掛ける。無駄に参考書の詰まった重みがずっしりとのしかかった。長嶺も帰り支度はすでにしてあったようで、先生から預かったらしきプリントを仕舞うと私のあとに続いた。
「その雑誌は持って帰らないのか?」
もうその話は終わったと思っていたのにまた蒸し返されるとは。
「わ、私のじゃないし」
「そうか、てっきり君の私物だと思ったんだがね」
本当に長嶺はしつこい。こうなってくると私も意地でも言ってやるもんかという気分になる。本当のことなんて言ってやらない。例えそれがとっくにばれてしまっていたとしても。
「何言ってんの」
そのまま部室に鍵を掛ける。カチャリと音が響いて錠が下りた。どこの部活もとっくに下校したあとなのか廊下はやけに静かだった。
「鍵は私が預かろう。早めに来てやらなければならないことがあってね」
「そう? ありがと」
お礼を言って長嶺が差し出した手のひらに鍵を乗せる。長嶺の長い指はやはり先程の俳優と似ているようで、少し、違う。そして長嶺の方を好ましく思う私はもう手遅れだ。
「君が鍵当番では明朝部室の鍵がいつまで経っても開かないなんて事態になりかねないからね」
「失礼な! 私だって鍵を預かったからにはちゃんと寝坊しないで起きるってば!」
私の言葉にハハと笑うその横顔も少しだけ似ていて、少しだけ似ていなかった。
2016.03.29