私は今日もひとり木の上に上って、ぼんやりしていた。ひなたぼっこと言うには木漏れ日の光は少なすぎたかもしれないが、私にとっては眩しすぎず昼寝をするには丁度良かった。さわさわと揺れる葉の間から見える空を見ていると、下から声が聞こえてきた。それが誰のものかは視線を下ろさずとも分かった。心地良い声、けれどもその声は聞きたくない言葉を紡いでいた。思わず目を閉じる。しかし意味のないことだったのですぐに開ける。耳も目と同じ様に閉じることが出来たなら良かったのにと思う。

「望美、今日暇かい?もしよかったら、」
「あーごめん、今日九郎さんと手合わせの約束してるんだ!」

そう言うと望美は走って行ってしまった。その場にヒノエひとりが残される。そのヒノエも「ちぇっ」と軽く舌打ちしてそこを離れようとしたとき、木の葉の間から声を降らす。

「ヒノエ格好悪い」
、見てたのかよ!」
「ヒノエ格好悪い」

同じ言葉を繰り返せばヒノエは顔を赤くする。さりげなく手をかざして隠してはいるけれどバレバレだ。普段のヒノエは女の子を誘うことに失敗してもこんな風に慌てたりはしない。もっと涼しい顔で軽口が返ってくる。だからこの反応は、ヒノエ自身も格好悪いと思っているということだ。必死だった、ということだ。彼女のことを本気で、

「さすがに熊野別当殿でも御曹司には勝てないみたいね」
「ただ単に向こうの約束が先だったってだけさ。神子姫様は律儀だからね」

そう言ってこの場を去ろうとする。「ヒノエ」と思わず呼び止める。彼は立ち止まり、こちらを見上げる。望美ちゃんに向けるのとは違う少し不機嫌そうな顔。ああ、やはり言い過ぎてしまったのだ。つい、いつものように皮肉を言ってしまって。だから嫌われるのだと、私はいつまで経っても学習しない。

「今日暇なら私に付き合ってよ」
「お前と?遠慮しとくね」

一言で断られる。そのままヒノエは振り返りもせず、行ってしまった。瞬間、胸に鋭い痛みが走る。

「…っ!」

どうして私は口からこんな言葉しか出てこないのだろう。ヒノエを怒らせた?いや、ヒノエはあれくらいで怒るような男じゃない。けれども、傷つけたかもしれない。どうして、私にはヒノエを慰めてやることすら出来ない?挽回することすら叶わない。素直に、なれない。ヒノエだってもうとっくに愛想を尽かしている。態度の差は望美ちゃんとだけじゃない、他の通りすがりの女の子にだってもっとましな受け答えをするだろう。あのよく回る口は女の子を前にすれば甘言ばかりがするすると出てくる。私だけ態度が違うのは、やはり私はそういう対象にすら見られていないからなのだろう。小さい頃から一緒にいて野山を駆け回り、口を開けばかわいくない言葉ばかり出てくる私はきっとヒノエには女として映っていないのだろう。現に今も木の上に登っている訳だし。言動はもちろん格好からも女らしさというものがまるでない。自業自得なのだ。もう少し私が女らしく、かわいらしかったなら何かが違っただろうか?

「ヒノエ、」

小さく小さく彼の名前を呼ぶ。溢れてしまった。自分が今どんな顔をしているか、知りたくない。ヒノエは、望美ちゃんが好きなのだ。彼の、望美ちゃんに対する態度は、他のどの女の子とも違うと気付いてしまった。女の子に優しいのはいつものことだけれど、望美ちゃんを見る瞳は他の誰とも違う『特別』なのだと気づいてしまった。涙が零れないように上を向く。葉の間から射す日差しが少し眩しい。この陽が涙を乾かしてくれればいいのに。人が近づいてくる気配がした。朔だ。私は視線を上に戻して、ひなたぼっこをしてる風を装う。始めは本当にひなたぼっこをしていたはずなのにね。

、こんなところにいたのね。譲殿がお菓子を作ってくれたの。あなたもどう?」
「うん」

と肯定の言葉を返した。こんな状態で皆のところに行ける訳ないのに。ただ、これが一番短い返事だったから。涙声を悟られる訳にはいかなかったから。でも、このあと何か続けなくては朔も不審がるだろうと必死で溢れそうになる涙を押し込めていると、朔はこちらに背を向けて反対側に呼びかけた。

「敦盛殿もいかがですか?」
「…いただこう」

向かいから声が聞こえたかと思うと、人影が屋根から飛び降りた。全く気付かなかった。朔は元から敦盛がそこにいるのを知っていたように驚きもせず「じゃあ私は他の人も呼んでくるから遠子と敦盛殿は先に行っていて」とそのまま行ってしまう。泣いているのを気付かれずにすんだのだから敦盛に感謝しなければいけない。けれど、

「いつからそこにいたの?」
「最初からだ」
「気付かなかった…」

一部始終を見られていたという訳か。私もヒノエのことを言えない。格好悪い。しかも泣いているところを見られるなんて、情けないこと限りない。相手が敦盛であったことが不幸中の幸いだろうか。

「ヒノエは、」
「?」
「ヒノエは私のこと女の子として見てないんだろうなぁ」
「それは、…」

敦盛だからだろうか、つい零してしまった。昔からの仲だから甘えが出てしまった。ああ、もう一度幼少時代をやり直せたらいいのに。敦盛とヒノエと私、3人で熊野を走り回っていたあの頃に返れたら良いのに。そうしたら、…そうしたら?私は一体どうするというのだろう。もっと大人しく、女の子らしく過ごす?それともヒノエを好きにならないようにする?どれもありえない気がした。きっと私は何度あの時をやり直せたとしてもヒノエに敦盛とともにくっついて行って遊んだだろうし、きっと何度だってヒノエを好きになる気がした。ああ、こんなにも私は彼に惚れている。

「素直になれたら良かったのにね?」

長年染み付いてしまった彼に対する態度は今さら変えようと思って変えられるものではない、自分でも分かっているのに。変えたところで今さらどうにもならない、それも知っているのに。後悔だけは止まってくれないのだ。

「ヒノエとは、似たもの同士だ」

今まで口を閉ざしてただ私の話を聞いてくれていた敦盛はそれだけを言った。

 

後悔のあとは
きっといつものように私は彼の前で笑えるのだろう。