「初めまして、星奏学院オーケストラ部一年の水嶋悠人です」

一目見た瞬間、ビビッときた。綺麗な瞳。陽に輝きながら、さらさらと風に流れる髪。ぴしっと伸びた背筋。差し出された右手。その姿に私は目を奪われてしまった。彼は王子様だ、と。

  ☆

次に我に返ったときには見えるのは小さくなった彼の後ろ姿だった。いつの間にか星奏との挨拶は終わっていたらしい。同じ星奏学院オーケストラ部の部長たちと去っていく彼の姿が完全に見えなくなったのを確認してから私は東金部長に掴みかかった。

「ぶぶぶ部長…! あの、彼は誰なんですか?!」
「はぁ? 誰のことを言っている」
「あの、綺麗な髪の王子様みたいな人ですよ! チェロ持ってた!」
「チェロ持ってたのは星奏の水嶋くんやね」
「副部長知ってるんですか?!」
「水嶋ァ? 水嶋ならさっき自己紹介してただろうが。聞いてなかったのか?」

教えてくれた土岐副部長に詰め寄ると解放された東金部長は脇から呆れ声を出す。確かに彼は自己紹介していた。けれども私が知りたいのはもっと沢山のことだ。

「仕方ないな、特別に教えてやる。水嶋悠人――星奏オケ部一年のチェリストだ。あの如月がアンサンブルメンバーに選んだんだ、実力は相当なものだろう」
「水嶋……悠人くん……」
「オイ、話を聞け! なんだ? 突然こいつはどうしたんだ?」
「千秋もニブイなぁ。ちゃんは恋に落ちてしもうたんや」
「恋ィ?」

東金部長が調子の外れた声を出す。いつも堂々として自信に満ちているあの部長がこんな風に驚くなんて珍しい。いつも何でもかんでもお見通しだぜみたいな顔をしているというのに。貴重なものを見れたがしかしこの様子では東金部長は役に立ちそうにない。

「副部長、私どうしたらいいですか?! 副部長こういうの得意でしょう?!」

副部長は「ど〜しよかな〜」なんてもったいぶっている。部長も副部長もかわいい後輩に対してあまりにも意地悪だ。こちらは真剣に聞いているのだからもっと親身になってくれてもいいのに。特に副部長は。

「とりあえずのきっかけ作りとして学院の案内をお願いしたらどうですか?」

突然横から、睦先輩が会話に入ってくる。私のあまりに必死な態度に見ていられなくなったのかもしれない。紅茶の入ったカップをテーブルに並べ、お茶の準備をしている睦先輩はさらりと付け足す。

「先ほど、分からないことがあれば遠慮なく声を掛けてくださいと言っていましたし、あなたが学院内をよく知らないのは事実でしょう」
「睦先輩さすがです! やっぱ頼りになる!!」

  ☆

そういうわけで睦先輩の作戦を実行するため、私は星奏学院に来ていた。音楽室を覗きこむと、放課後に自主練をする生徒がちらほらと見える中に彼はいた。

「……何かご用ですか?」
「あの! もしお時間があれば学院内の案内をお願いできませんか!?」

言ってしまった。もう後戻りは出来ない。

「学院内の設備は私たちも自由に使って構わないとのことでしたが、場所が分からなくて!」
「構いませんけど。あなたは確か神南高校一年のさんでしたね?」
「はいっ!」

自分のことを覚えていてくれたことに舞い上がる。派手な東金部長や土岐副部長の影に霞んで忘れられていてもおかしくなかったのに。

「僕で良ければ案内しますが……」
「水嶋くんがいいんです!」

思わず大きな声を出してしまった。水嶋くんが目を丸くしたのを見て、しまったと思った。

「えっと、あの、私一年だし、先輩たちにはちょっと頼みづらいなぁって思って、それで……」
「そういうことですか。確かに先輩方に校内案内をお願いするのは少し気が引けるかもしれませんね。分かりました、今チェロを片付けるので少し待っていてください」

正直、こんなにもすんなりと上手くいくとは思っていなかった。睦先輩は大丈夫でしょうと言っていたけれど、このあと用事があるからとか、他校の生徒と馴れ合う気はないとか断られてしまうんじゃないかと思っていた。断られても、仕方ないと思っていた。それなのに彼はほとんど赤の他人である私のために練習を中断してまで案内してくれようとしている――。

 ☆

「――こちらが練習室です。手続きさえすれば他校の生徒も自由に使えるそうです」

彼の言葉を一言たりとも聞き逃すまいとしながら歩く。星奏学院の設備はかなり整っていて、音楽関係の場所を案内してもらうだけでもかなり時間がかかった。音楽科が設けられているだけのことはある。練習室は今の時間どこも埋まっているし、この学校には音楽が溢れているのがちょっと歩いただけで分かった。

「練習熱心なんですね」
「え、いや、あのっ、そんなことないです!」

突然彼が説明をやめ、私に話しかけてくるものだから慌ててしまった。顔を上げると、視線が真っ直ぐに私を見ていて、思わず俯いた。

「……私なんかがいくら練習したって無駄だって笑われちゃうかもしれないけど」

うちの部にはあの東金部長と土岐副部長がいるのだ。それにふたりほど目立たないとはいえ、芹沢先輩だって相当の実力者だ。私なんかが入る隙間なんてないのは分かりきっている。あの人たちと同じステージに立ちたいと願う部員は山ほどいる。その中で私の実力なんてたかが知れてるのだ。

「あなたもアンサンブルメンバーに選ばれたくて頑張っているのでしょう? 結果はどうあれ、努力したことは誇っていいはずです」

目の前がちかちかと光って眩しくなる。

自己紹介をしていたときのピッと伸びた姿勢だとか、まっすぐ前を向く澄んだ瞳だとか。我が神南高校管弦楽部の部長を前にしてもその目は変わらなかった。まずそこに目を奪われて。

惹かれる。もっと知りたい。この感情を表す言葉はきっと――

「好き」
「えっ?」

私はきっと恋に落ちてしまった。

2014.11.30