「……ダリウス様、今朝はどうかしました?」

ふとすれ違いざまに、金糸の向こうにのぞく瞳が揺れているような気がして、気が付くと主に声を掛けていた。

「どうか、とはどういうことかな?」
「あ……、過ぎた真似を失礼しました」

ダリウス様の言葉で気が付いた。今のは不遜な発言だった。彼の言う通り、どうもこうもない。彼が何か思い悩んでいたとしても、私が手を貸せるものならばとっくに命じられているだろうし、私が踏み込んで良い領域を超えているかもしれなかった。仕事上のことならともかく、ダリウス様の個人的なことに立ち入るべきではない。分かってはいるけれども、一緒に暮らしているとその距離が曖昧になって、いけない。

咄嗟に伏せてしまった視線を恐る恐る上げたけれども、こちらへ向き直ったダリウス様の顔は逆光になってよく分からなかった。先程は、大きな窓からこぼれ落ちる光に金色がキラキラと光っていたのに対して、彼の横顔はひどく陰っていたように見えたのに。

「怒ってはいないから謝らなくていい。どうして君がそう思ったのか、純粋な興味だよ」
「理由は……、はっきり説明出来ません。ただ、何となくそう思っただけなんです」

ダリウス様とは長い付き合いというわけではない。私が無理矢理この邸に押しかけるまで、彼は鬼の首領として遠い遠い存在だった。今でもそれはさして変わりはしない。私はルードのように何でも出来るわけではないし、彼の志の手伝いも出来ない。ダリウス様を理解しているとはとても言い難いのに、そんな風に感じたのは本当に何となくとしか言いようがなかった。

「何となくダリウス様の表情が陰っているように見えて、それで、何かあったのかと」
「ふうん……」

ダリウス様の視線が刺さるように痛い。でも、言えない。それが私がダリウス様ばかりを見つめているから気が付いたのだろうなんてことは。私が彼に恋情を抱き、焦がれているからこそ小さな変化に気付いてしまっただなんて。ダリウス様は鬼の首領で、私の主だ。身分が違う。言えない。言えるわけがない。

「何か私に出来ることがあれば何でも仰ってください! ダリウス様のお力になりたいんです!」

もとより私はそのために在る。私の言葉にダリウス様は一度驚いたように目を瞬かせた。けれどもそれも一瞬のことで、彼の口元はすぐにいつものように弧を描いた。

「はは、頼りにしているよ」

私がダリウス様のために出来ることなど微々たるものだが、それでもダリウス様はやさしい言葉を掛けてくださる。だから私は、私の出来ることを精一杯頑張ろうと思えるのだ。この方のために尽くそう、と。

「今日は煉瓦街へ行こうと思っていたんだ。……良かったらも来るかい?」
「えっ?」
「とは言っても買い出しに行くだけだけどね」

突然のことにダリウス様の意図が掴めなかった。叱責を受けることは覚悟していたけれども、こんな風に買い出しに誘われるなんて。今日は邸で決められた買い出しの日ではない。きっとダリウス様の個人的な買い物なのだろう。それに私が誘われるなど――

「どうかな?」
「は、はい! よろこんで!」

姿勢を正して、返事をする。意気込んで答えた声は存外邸の廊下に響いてしまった。虎やルードにまで聞こえていやしないかと思ったが、そんな考えは一瞬で吹き飛んでしまうくらい私は舞い上がっていた。

「いい笑顔だ。俺のせいで君の表情が曇るのは本意ではないからね」

そう言って彼は一歩足を進めた。キラキラとあたたかい陽の光が反射する。金が透け、青が瞬く。やっぱり彼はこうして輝かしくあるべきだと思う。再び見えた表情はもう先ほどのように陰ってはいなかった。

金糸雀は泣かない