オペラ先生の地獄の特訓から逃げている最中、ロッカーの前を走り去ろうとすると、中から手が伸びてきて引き摺り込まれた。
「しっ!」
「お静かに」
「むぐっ……!?」
 前方にいるゼゼくんに口を塞がれる。後ろにいるゼゼくんには肘のあたりを掴まれていた。
 ――何故かゼゼくんは“分身”でふたりになっていた。
「な、なんでふたり……!?」
「話せば長くなるのですが……」
 そう言ったきりゼゼくんは説明する気配がない。これは面倒くさがってうやむやのまま誤魔化すつもりなのだと分かった。こちらとしても絶対経緯が知りたいというわけではないからいいのだけれど。
「ゼゼくんがふたりいたら狭いでしょ!」
 私とゼゼくんひとりでもそんなに余裕がないのに、ゼゼくんがふたりいて合計三人押し込まれているロッカーはもうミチミチだ。
「大丈夫です」
 ガンッ!
「ロッカーに肘当たってるし、全然大丈夫じゃないじゃん」
 そもそも何かと大袈裟にポーズを決めたがるゼゼくんと狭い場所は相性が悪すぎる。いつもの扇子を広げるスペースもない。しかも今は二倍なのだ。隠れるにしたって別の場所にした方が良い。とりあえずここから出してもらうため、少し体を動かした瞬間、腕を掴まれ固定される。
「誰か近付いてきています」
 後ろにいるゼゼくんが小声で囁く。その声に背筋がざわざわする。
「えっ」
「心配ご無用。見つからなければいいだけの話です」
 私の正面でゼゼくんが自信たっぷりの笑みを浮かべて片目を瞑ってみせる。いつもなら、さすがモデル顔がいいと思うところだけれど、さすがにこの距離でそんなことを思っている余裕はなかった。
 いつもはうるさい感じのゼゼくんが、隠れているからか静かな喋り方なのも普段と違って落ち着かない。しかも、前を見ても後ろを見てもゼゼくんなのだ!
「ね、でも、ちょっと、狭いから……!」
「我慢してください」
「あと少しの辛抱です」
 離れようにも、前にも後ろにもゼゼくんがいるこの状況では全くスペースがない。バクバクと鳴る心臓の音に気付かれてしまうんじゃないかと思うくらいの距離。というか、こちらもゼゼくんの心臓の鼓動まで分かってしまいそうだ。暴れたせいでロッカーがガタガタと揺れる。
「動かないでください」
 近い近い近い……!
 背中にゼゼくんの体温を感じる。それなのに目の前には彼の端正な顔がある。
 限界はそう遠くなさそうな予感がした。

2023.11.29