「好きです」

 視線を上げると、すぐ近くで真剣な表情をしているゼゼくんと目が合った。いつの間にか、左右の逃げ道は彼の腕で塞がれている。後ろには本棚、目の前にはゼゼくん。逃げ場がなかった。

「どうしたの?」

 多分、さっきの言葉は聞き間違えだ。それか、前後の言葉を聞き逃してしまったか。
 生徒会室には私たちふたりだけ。もう今日の活動は終わっていて、最後に私がこの資料を棚にしまったら戸締まりをして帰るだけだった。一方、ゼゼくんはもうとっくにこの生徒会室に用はなかったはずなのに、いつまでも帰らないから変だなとは思っていた。

「聞こえませんでしたか? ならもう一度言いましょう。好きです」
「えっと、なにが?」
「貴女が」

 そう言ってゼゼくんが微笑む。さすがモデビル、完璧な笑顔だと思った。

「えっと……私たちそこまで仲良かったっけ?」
「好きになるのに元々仲が良かったかはあまり関係ないでしょう。俺と貴女は同じ学年、同じ生徒会所属という接点もある。十分だとは思いませんか?」
「そ、そうかもしれないけれど……」

 でも私はごく普通の女生徒だ。生徒会に入れてしまったことは本当に運が良かっただけで、ずば抜けてカリスマがあるわけでも、賢さがあるわけでも、強いわけでもない。もちろん、美女でもない。生徒会に入ってから長い年月が経っているわけでもない。そんな私をあのゼゼくんが好きになるとは全く、これっぽっちも考えられなかった。生徒会では同じ学年のヴィネくんとつるんでいる時間の方が長いし。

「でも、私、ゼゼくんのことをそういうふうに見たことがこれまでなくて……」

 顔が良いなとは思う。実力もあって、生徒会に相応しいひとだ、とも。でも、お近づきになりたいとか、もっと彼のことを知りたいだとか思ったことはなかった。ましてや、彼の特別になりたいだとか、そんな大それたことは――

「それでも、俺が好きなのは貴女です」

 オレンジ色に染まった彼の顔が苦しそうに歪む。そこまでして彼が得たいものは何なのだろうと思った。

「ゼゼくん……」

 ここでイエスと言ってしまっても良いのかもしれない。悪魔は面白そうなものに靡く。たとえ、彼のことを現時点で何とも思っていなくても、告白されて、面白そうだと感じれば軽い気持ちで付き合う悪魔も多いだろう。上手くいかなければそのときは別れれば良い。――そうは思っても、彼の真剣な表情を見ると適当な返事は出来そうになかった。

「えっと、その……」

 どうしてこんなことに。これから先、同じ生徒会として関わっていかなきゃならないのに、ここで振ってしまったら気まずくならないか。そんなことばかりを考えてしまう。それに、ゼゼくんのことは嫌いではないのだ。良い人だと思う。いつも自信に満ち溢れていて、そしてその自信に見合うだけの実力も持ち合わせている。――ただ、私たちふたりが恋人同士になるというのが想像出来ないだけで。

「ま、まずは私たちもっと仲良くなってからそういうことを考えるべきでは!?」
「もっと仲良く?」
「そう!」

 同じ学年、同じ生徒会所属と言っても個人的に遊んだこともないし、積極的に雑談したりもしていない。私はゼゼくんが好きな食べ物ののひとつも知らないのだ。付き合うとかそういうのは好きな食べ物を知ってからでも遅くないはずだ。

「なるほど」

 ゼゼくんは顎に手を当て、考え込んでいる様子だった。分かってもらえて何より。ほっと胸を撫で下ろした。

「どうしたら貴女は俺と仲良くしてくれますか?」

 そう言って彼の顔が近付けてこちらを覗き込む。先ほどからずっと近い距離で話していたことを思い出して、もう下がれないと分かっているのに後退ってしまい、棚に背中がぶつかる。ヒュっと息を飲んだその瞬間――バンと扉の開く大きな音がした。

「忘れ物! 良かった、まだ生徒会室が開いてて……ってあれ? ふたりともどうしたんですか?」

 聞き慣れた声がして、慌てて扉を振り返ると同じ生徒会一年のヴィネくんが立っていた。この状態を人に見られたら何と思われるかと焦ったが、いつの間にかゼゼくんは私から一歩離れたあたりに立っていた。まるで何事もなかったかのように、いつもの綺麗な姿勢でヴィネくんの方を向いていた。
 ――やっぱり白昼夢だったのかもしれない。

「な、何でもない! ほら、戸締りするから早く出て! 三人で帰ろ!」

 魔術で戸締りを確認しながら、二人の腕を抱えて生徒会室を出る。いつもの日常が戻ってきた。三人で今日の特訓はきつかったね〜なんて話ながら校門まで歩いて、そのまま別れる。そうすれば、いまだにうるさい私の心臓だって大人しくなるはず――

「絶対に俺のこと“好き”と言わせてみせます」

 私にだけ聞こえるような小声でゼゼくんがそう言って、パチリとウィンクをする。ああ、もう心臓はいつまで経っても静かになりそうにない。

2023.06.21