少し離れたところから名前を呼ばれ、振り返る。見ると同じクラスの男子生徒がこちらに向かって大きく手を振っていた。

「おーい、この間読みたいって言ってた本、読み終わったから貸す。机の上に置いといたぜー!」
「えっ本当!? ありがとう、大好き!」

 クラスメイトにこちらからも手を振り返して感謝を伝えると、彼は笑顔で頷いて応える。そのまま彼はグループの輪に戻り、教室へ向かっていった。

「あ、待たせてごめんね。行こ、ゼゼくん」

 そう言って彼の方へ振り返る。私とゼゼくんは気の合うクラスメイトだった。入学初日に偶然話してから、よく一緒につるんでいる。
 いつもならすぐに返事があるのだけれど、このときの彼は俯いて立っているだけだった。

「ゼゼくん……?」

 普段はお喋りな彼が黙っていることを不思議に思っていると、不意にグイと手を引かれる。バランスを崩しかけたところで、背中が壁に当たって、何とか体勢を保つ。

「どうかし――」
「〜〜っ!」

 ドンと壁を叩く音がして、すぐ目の前にはこちらを見下ろすゼゼくんの顔があった。
 彼の腕と壁の間に閉じ込められている。ゼゼくんは無言のまま怒ったような表情でこちらを見下ろしている。彼の整った顔を近付けられると、迫力がある。

「あの、ゼゼくん……?」

 彼の影が掛かる。普段は隣に並んでいても気にならないのに、こうして目の前に立たれると彼の背の高さに気が付いた。モデビルなのだからスタイルが良いのは知っていたけれども、自分との体格の差を思い知らされる。

「何かあった?」

 何かあったから彼はこんなことをしているに決まっている。だけれど、私には皆目見当もつかない。だって、さっきまでいつも通り食堂へ向かって一緒に歩いていただけだから。
 強いて言えば、直前にゼゼくんとの会話を遮ってクラスメイトと話をした。それが嫌だったのだろうか。でも、それくらいで怒るほどゼゼくんは心の狭いひとではないはず――

「さっき彼に“大好き”と言っていた」
「えっ? あ……言った、かも……?」

 完全に無意識だった。お礼の言葉のあとに軽い気持ちで続けたかもしれない。彼も気にしていなかったし、ああいうのはある程度仲の良い相手なら良くあることだと思う。それこそゼゼくんにはいつも食事代わりに「大好き」という言葉を贈っている。多分、そのせいで無意識のうちに口をついてしまったのだろう。

「それが、何か――」

 問いかけたところで、口を彼の細く長い指で覆われる。唇に彼の指が触れて、それ以上喋れなくなった。彼の赤い瞳がじっとこちらを見つめている。いつになく真剣な瞳に、ドキリと心臓が鳴る。

「そういう言葉を投げかけるのは俺だけにしてもらいたい」

 そう言って苦しげに眉根を寄せる彼に、私は目を丸くさせることしか出来なかった。

2023.01.08