「“押してダメなら引いてみろ作戦”よ!」
その姐さんの言葉に、私は衝撃を受けた。
女子会で、私がプルソンくんにいくらアタックしても彼からの反応がいまいちだと、皆に相談したのがきっかけだった。
押してダメなら引いてみろ作戦……その発想はなかった。しかしよく考えてみると、音楽祭のときも問題児クラスの皆でワッとプルソンくんに寄ってたかって説得しようとして上手くいかなかったのだ。彼に“押して押して押しまくる作戦”は通用しないのかもしれない。私が愛を伝えていると、いつの間にか彼は姿を消して逃げてしまうし。
そうと決まれば善は急げ。翌日からすぐに実行することにした。
「プルソンくん、ス――おはよう」
危ない。いつものように「スキっ!」と挨拶代わりの告白をするところだった。落ち着いて、冷静に、他の生徒にするのと同じように挨拶が出来たはずだ。
「……おはよ」
一瞬間があったけれども、プルソンくんが返事をしてくれた! いつもなら返事をする前にすぅーっと消えてしまうことがほとんどだから、これは大きな前進だ。
休み時間になるたびにプルソンくんのところに行って話しかけるのもやめた。彼が窓の外をぼんやりと頬杖をついて眺めている横顔を見るとすごくキュンとして、居ても立っても居られない衝動に駆られるけれども、そこをぐっと我慢した。物憂い顔が本当に格好良い。
「かっ……」
格好良いと思わず呟いてしまいそうになるのを、すんでのところで我慢した。ふぅと息を吐いて落ち着いていると、プルソンくんが不意にこちらを振り返った。見ていたのがバレないように慌てて目を逸らす。一生懸命、前の授業の板書を見ているふりをした。これまで、目が合うチャンスがあれば絶対に逃さなかったし、何なら彼の正面に回って無理矢理視線を絡めたこともある。正直慣れないけれど、これも作戦のため!
移動教室のときは姐さんたちと一緒に移動したし、お昼休みも女子グループで食べた。廊下で、屋上へ向かうプルソンくんの姿を見て追いかけたくなるのを堪えるのがつらかった。じっとその背中を見送る。お昼休みはプルソンくんとふたりきりになる大チャンスなのに……!
「あ、お弁当のおかず交換しよ!」
女子同士でこういうことするのもすごく楽しいけど。
プルソンくんに話しかけられない一日は長かった。いつもなら屋上まで追いかけて行くところを、今日は近くの空き教室からピクシーの演奏を聴いていた。会いにいけなくても、この演奏だけは聴いていきたかった。
最後の一音が鳴り響き、その余韻に身を浸す。今日の演奏は何だか鬼気迫るものがあって素晴らしかった。夕方のこの寂しい雰囲気と、彼の演奏は何だか合っているように感じる。――やっぱり好きだなぁ。そう思いながら、帰宅するため鞄に手を伸ばした、そのときだった。
「ねえ」
「わっ! ……ってプルソンくんか。びっくりしたぁ」
振り返ると大好きな彼が立っていた。ドキリと心臓が鳴る。さっきまで屋上で演奏していたのに、何もない空き教室に来ているだなんて、思っても見なかった。
こんなに近くで彼を見るのはひどく久しぶりな気がする。実際はたった一日私から話しかけなかっただけなんだけど。
「どうしたの、何か用? プルソンくんから声掛けて来るなんて珍しいね」
まぁ、今までは私が隙もなく声を掛けまくっていたからかもしれないけれど。こうして彼から声を掛けてもらえるなら、引くのも悪くない、悪くないかもしれない。思わずゆるみきってしまいそうになる頬を必死で引き締めた。
「用ってほどのことじゃないんだけど……」
小さな声で彼が言う。てっきり先生からの言付けかと思っていたので、どうやらプルソンくん自身の用事らしいことに驚く。
顔だけ振り向いていた格好から体ごと彼の方へ向き直ると、彼は意を決したような表情をして口を開いた。
「君さ、僕のこと嫌いになったわけ? まぁそれも当然だよね、こんなスカした態度のやつ、いずれ愛想尽かすに決まってるし。それは分かってるんだけど、でもだからって突然すぎない? こっちも心の準備がほしかったっていうか、突然すぎてどうしたらいいか分かんなくなるっていうか」
「え……」
「誰か別のやつを好きになったりしたのかなと思ったけど、女子とばかりつるんでてそんな様子は全くないし。何か傷付けるようなことしちゃったかなと思ったけど、普通に挨拶はしてくれるから、傷付けたりはしてないのかなと思ったんだけど。まぁ本当のことは君本人に聞くしかないし」
そこで一度彼は言葉を区切って、チラリとこちらへ視線を向けた。
「僕なんかした?」
「してない」
「そう、なら良かった。スカした態度に見えたかもしんないけど、別に嫌だったからとかいうわけじゃなかったんだよ。ってか、それくらい分かってよ。こっちは女の子こんなにアタックされる経験なんて、これまでの人生で一度もなかったんだからさ。どうしたらいいか分かんなくなるのは当たり前じゃん」
キュルキュルと喋り続ける彼に、思わずぽかんと口を開けてしまう。何だか今日の彼は喋る勢いがいつも以上だ。彼の言っていることは半分くらいしか理解出来なかった。あまりにも私に都合良く聞こえる言葉すぎて信じられなくて。でも、これが夢でも勘違いでもないのなら、これってつまり――
「効果ありすぎ……」
「なに?」
「何でもない!」
やっぱり、押してダメなら引いてみろ作戦は正しかった。でも、正直こんなに早く効果があるなんて思ってもみなかったから驚いた。駆け引きを仕掛けたのはこっちなのに、展開のスピードについていけてない。
「えっと、じゃあ、今まで通り『好き』とか言っても良いってこと?」
「んん゛! そもそもこっちはダメとか一度も言ってないけど」
ひとつ咳払いをして彼が言う。――好意を伝える許可をもらえた。その事実がじわじわと私の胸に広がっていく。もう頬のゆるみは抑えきれなくて、きっとだらしない顔を晒しているに違いない。けれども、それを止めることは出来なかった。
「プルソンくんだーいすきっ! ……ってちょっと待って、何で消えちゃうの!?」
許可を出してくれたのに! 咄嗟にガッと腕を掴むと彼は姿を消すのを止め、恨めしそうな視線をこちらへ向けた。そこで私はやっと気が付いた。
彼の顔はひどく真っ赤に染まっていた。
2022.07.03