「えっ、もしかして、オリアス先生……?」

 キッチンに入ってきたひとが誰だか気付いた瞬間、ドクリと心臓が変なふうに鳴った。
 パーカーを着て、フードを被って、こっそりとキッチンを覗き込む様子は、最初彼だとは思わなかった。一瞬、教師寮なのに知らないひとがいると思ったけれど、よくよく顔を見ると見覚えがあった。
 彼の方も私がいることに驚いたのか、こちらを指差して後退りしていた。

「どうしてここに!? ここ男子寮……!?」
「お塩を切らしてしまって……ロビン先生が勝手に持っていってくれと言うので……」

 そう言うと、彼はチッと舌打ちした。あのオリアス先生が舌打ち!?
 こんな機嫌の悪いオリアス先生は初めてみたので、どうしたら良いのか分からなくなる。いつも余裕があるというか、実際、能力のおかげでそう悪いことが起きない彼がこんなに不機嫌なところはみたことがなかった。

「オリアス先生、もしかして寝起きですか?」

 何だか気まずくて、キッチン棚をあさっていた手を止めて彼の方に向き直る。探していた塩は一向に見つからない。お塩なんてよく使う調味料だから、絶対に取り出しやすい場所にあるはずなのに、調理台の上にはそれっぽいものが全く見当たらなくて諦めた。

「いつもと雰囲気違うから一瞬誰だか分からなく――」

 世間話とつもりだったのに、オリアス先生の表情が見る見るうちに渋くなっていって、私は自分が話題のチョイスに失敗したことに気が付いた。コレ、もしかして触れたらダメだったやつ。

「あれー? もしかしてオリアス先生のオフの姿見たことなかった?」

 私たちの声を聞きつけたのか、マルバス先生がひょっこりと顔を覗かせる。「オフの姿……」と復唱すると、マルバス先生が「そう」と楽しそうににこにこと微笑みを向ける。

「知らなかったです。前に休日に会議したときも、いつもと同じようなスーツ姿だったので……」
「ああ、オリアス先生、君の前では格好付けてるもんねぇ」
「おい!!」

 そう叫んでオリアス先生がマルバス先生の口を塞ぐ。そしてそのままマルバス先生の背中を押してキッチンから追い出してしまう。
 会議以外の別の日に見たけたときも、ジャケットやネクタイや手袋はなかったけれど、なんか良さそうなシャツを着ていたから、休日もそういう系統の服装なんだと思っていた。Tシャツを着るにしても、なんか一枚数万するやつとか……。いや、これも数万するやつかもしれないが。

「こんな姿見せるつもりじゃなかったのに……」

 そう言ってオリアス先生が頭を抱える。頭を抱えるオリアス先生も初めて見た……。
 でも、そう思う気持ちも分からなくもない。私も女子寮にいるときのような、すっぴん髪ボサボサの姿は絶対にオリアス先生に見せられないから。オリアス先生のはだらしないとはまたちょっと違うけれど。後輩の自分には頼れる先輩を見せたいという気持ちも分かる。

「えっと、雰囲気違うので驚きましたけど、こういうオリアス先生の姿も良いなと思いましたよ?」

 本当は『かわいい』と言いたかったのだけれど、男性に向けてこんなことを言ったら、彼はさらに臍を曲げてしまいそうだったので言葉を変える。前髪が下ろされていて普段より幼く見えるから、かわいいと思うのかもしれない。
 それに、常にばっちりキメキメのオリアス先生より、こういう一面があった方が親近感が湧くと言うか。

「マジ?」

 私のフォローにパッと彼が顔を上げる。彼の表情はいつも学校で見るときのような輝きを取り戻している。

「えっ、こっちの方が好み?」
「えっ、いや……好みかと言われると……どうでしょう……」

 どっちが好みとか考えたこともなかったので、それを素直に伝えると、オリアス先生は今度も分かりやすく落ち込んだ。そんなに傷付ける言葉を言ったつもりもなかったのだけれど。

「どっちもオリアス先生なので素敵だと思い、ます……」

 言ってる途中で恥ずかしくなって、言葉が途切れ途切れになる。顔も熱い。変なことを言ってしまったかもしれない。
 パタパタと顔を手で扇ぎながら、彼の方へ視線を向けると、オリアス先生は目を丸くして驚いていた。彼の頬も微かに赤くなっている。
 うわ、これは――

「あっ、お塩! こんなところにあったんですね! 借りて帰ります! お邪魔しました!!」

 調理台の上にあったボトルを掴むと、オリアス先生を押し退けて、キッチンをあとにする。「待って」とオリアス先生の声が聞こえる。それを無視して私は女子寮まで一目散に逃げ帰ったのだった。

2022.10.02