その日受けた衝撃を、私はまだ上手く表現する言葉を見つけられないままでいる。
「姉さんが忘れ物なんて珍しいね。――ああ、こんにちは、初めまして」
マネージャーのマルさんが忘れてしまったものを届けにきてくれたのが出会いだった。私はライブの本番直前で、メイクさん衣装さんその他沢山のスタッフの手によって世界一かわいい女の子に仕上げてもらったばかりだった。
「あのっ! 良かったら私のライブ、見ていってください!」
ただ一言挨拶を交わしただけで終わるのは嫌だった。アクドルになる魔法をかけてもらった直後だったから、こんな勇気を持てたのかもしれなかった。
◇
「マルバス先生っ!」
そう呼びかけると彼は振り返り、私の姿を視界に収めると目を丸くさせた。驚いた顔もかわいい。
私が彼の職場である悪魔学校にいるのが予想外だったのだろう。ちゃんと校門で許可は得ている。
「これ、朝忘れていったでしょう?」
「ああ、本当だ。わざわざ届けに来てくれたの? ありがとう」
彼は忘れ物の入った紙袋を受け取ると、そう言って微笑む。そのたった一言で、慣れない場所まで届けにきた甲斐があったというものだ。忘れ物は授業で使う物らしいノートだったので、やっぱり届けに来て正解だった。
周りから「えっ、朝?」と言うざわめきが聞こえてきたが、気付かないふりをする。こういう鈍感さも仕事で培ったもののひとつだった。
「君、アクドルの……!」
「“元”ですよ」
赤髪の先生が声をかけてくる。微笑んで答えると、彼は「本物!」と驚いた声を上げた。私の顔を覚えていてくれた人がいるなんてありがたい。
赤髪の先生の発言を受けて、周りの先生方も「アクドル?」とざわついている。これ以上、職員室を騒がせるのは迷惑だろう。忘れ物も渡したし、そろそろお暇しようとすると、マルバスさんが私の手を掴んだ。
「このお礼は今度」
「本当? 楽しみ。期待してるね」
彼が働いている場所も見ることが出来たし、忘れ物を届けるくらい全然大したことじゃないのに。それでもきちんとお礼をしてくれる彼の優しさに胸がキュンとする。
「では、私はこれで失礼しますね。お邪魔しました」
ペコリと頭を下げて、職員室から出る。私が扉を閉めた途端、中からワッと声が聞こえた。
「マルバス先生、彼女いたんですか!?」
「いや……」
「さっきの彼女ですよね!? 言い逃れは出来ませんよ!?」
「あんな可愛いアクドルの子と一体どこで出会ったんですか!?」
「えっと……」
どうやら彼は同僚から質問攻めにされているらしい。少し困った顔で答える彼の表情を想像して、悪いことをしてしまったかしらと思いつつ、私を“彼女”だと紹介する彼を想像して、ふふと思わず笑みが溢れた。
2022.12.18