「用がないのなら帰れ」
お邪魔します、と言うや否や勝手にコーヒーを淹れだした私に、執務机に向かう彼はこめかみを揉みながらひどく呆れた調子で言った。
その声に私は振り返り、にこりと微笑んでみせる。
「まぁせっかく淹れたんですし、一杯くらいゆっくりしていっても」
「私の研究室だが?」
まるで自分の部屋のような言い方に素早く訂正が入る。確かにここはカルエゴ先生の研究室で、決して私は部屋の主ではない。
けれどももうすっかり勝手は知っていた。まるで自室にいるかのような自然さで自分と先生用のコーヒーの支度を終え、最後にシュガーポットを取り出してテーブルの上に置く。このシュガーポットも元々はこの部屋になく、私が持ち込んだものだった。白く丸くころんとしたかわいらしいそれはこの部屋の中で浮いている。そういうものがここには沢山あった。
「もっとやるべきことがあるだろう。勉強はどうした」
「勉強、してますよ? カルエゴ先生に教えてもらおうと思って」
そう言って教科書とノートをずらりと並べてみせる。魔術基礎学から魔界歴史学、魔生物学に使い魔学エトセトラ、エトセトラ。これだけの教科書類を持ち運ぶのは骨だったが、これだけあれば日が暮れるまでたっぷり予習復習できるだろう。
「図書室に行け」
彼はティーセットと勉強道具の並んだテーブルの上を一瞥すると、手元の書類に視線を戻した。あくまでも私の相手をする気はないらしい。
「カルエゴ先生が好きだから一緒にいたいんです」
そう言って先生が向かう机の前に回って、彼の顔を覗き込む。真面目な彼にしては珍しく執務机には書類の山がいくつも出来ていた。先生が忙しいのは本当のこと。
「異性不純交遊は禁止だ」
カルエゴ先生がつれないのもいつものこと。
「“不純”なこと、してくれるんですか?」
どうやったら彼の視界に入ることが出来るのだろう。
彼の瞳に私の姿が映っているのが分かるのに、どうしても手の届かないほど、遠い。
「……するわけないだろう」
そう答える先生の額には青筋が見えていた。
「ふふ、そうですよね」
身を引いて思わず笑いを零すと、彼の眉間の皺がさらに深くなる。
先生はとても誠実な人で、適当に手を出したりなんかしない。私の初級中の初級の誘惑なんかには引っかかってくれはしない。そういう真面目な人だから私は好きになったのだ。
はぁ、と先生の深い溜め息が聞こえた。
「一杯飲んだら帰れよ」
「はぁい」
そう言ってソファーにふかふかのクッションを抱えながら座る。
先生は私が大人しく自習を始めたのを横目で見ながら、机に置かれたカップを手に取って口元へ運んだ。
「まったく、上達したのはコーヒーを淹れることだけだな」
「先生好みに淹れられていますか?」
「ふん、及第点だな」
早く私も彼の好みになれたら良いのに。
2020.11.01