「め、めずらしい……!」

 物音を立ててはいけないと分かっていたのに、つい呟いてしまった。

 それくらい、普段だったら有り得ない光景が広がっていた――あのカルエゴ卿が自室とはいえ、椅子でうたた寝など誰が想像出来ただろうか。

「おじゃましまぁ〜す……」

 私が読みたいと零した本を貸してくれると言ったのは彼の方で、あとで取りに来いと言ったのも彼自身だ。眠ってしまったカルエゴ先生が悪いと自分に言い訳をしながら、そっと部屋の中へ足を踏み入れる。
 まさか私を嵌める罠ではないかと警戒しながら近付いてみたが、それでも彼は目を開ける気配がない。

「カルエゴせんせ?」

 上着を着たままとはいえ、暖炉もついていない部屋では寒かろうとそっとブランケットを掛けてやる。それでも彼はまだ目覚めない。
 一睡もしたことありません、みたいな陰鬱な表情をしているくせに意外と一度寝たら起きないタイプなのだろうか。
 彼の口が薄く開いている。さすがに涎などは垂れていないが、こんな風に寝入っている彼の姿などもう一生見られないかもしれないと思うともう少し眺めていたくなる。
 額に落ちた彼の前髪が目元に影を作っている。すっと通った鼻筋。険しい瞳も今は閉じられて、薄い唇からは微かな呼吸音が聞こえる。こんな、無防備な彼の姿など――

「本当に寝てます?」
「寝ているわけないだろうが」
「ヒェッ!」

 いきなり開いた瞼に、思わず飛び上がって後退る。口から心臓が飛び出そうなほどドキドキと鳴っている。ぎゅっと握った両手を胸に当てて押さえつけなければ、また勝手に心臓が暴れ出しそうだった。
 そんな風に慌てる私を横目に、彼は悠々と伸びをして肩の凝りをほぐしている。

「貴様が取りに来た本はそこの机の上だ」
「あっ、はい、どうも……」

 何とも間の抜けた返事をしながら彼の指差す机から本を取って胸の前に抱える。そうだった、私はこの本を借りに彼の部屋を訪ねたのだった。こんなことなら部屋の主が寝ていようが関係なくさっさと本だけ取って帰ってしまえば良かった。彼が居眠りで風邪を引いたって私には何の関係もないことなのだから!

 彼に背を見せないように横歩きで扉の方へ向かうと、その姿を見て彼はふんと鼻を鳴らした。

「それとも、私に何をするつもりだったか聞いた方が良かったか?」

 そう言って彼が薄く笑う。かぁっと体が熱くなり、彼の片側だけ持ち上げられた唇から目が離せなくなる。
 それこそ彼の思惑通りだと気が付いて、ハッとそこから目を離す。それすら彼はお見通しだったようだけれど。

「ブランケット掛けてあげただけです! 本、ありがたくお借りします! 失礼しました!」

 言うべきことだけ言い捨てて、部屋から飛び出る。扉が壊れそうなほど大きな音を立てたが知ったことではない。
 耳を押さえて、廊下を大股で歩く。囁かれたわけでもないのに、耳元に彼の声が残っているような気がした。

2020.10.13