「んじゃ、そろそろ帰ろ?」

 今日は教室でジャズとふたりきりの勉強会だった。勉強なんていうのはただの口実で、本当は彼氏になったジャズと一緒にいたかっただけなので、勉強には結局身が入らなかったけれど。
 窓の外はオレンジ色に染まっていて、そろそろ帰るのに良い時間だ。もしかしたらちょっとだけ寄り道して帰れるかもしれない。

「ん」

 鞄に筆箱やノートを放り込んでいると、何かを促すようなジャズの声がした。何かと思いながら顔を上げると、いつの間にか彼が私の隣に立っていた。

「おいで?」

 腕を広げ、にっこりと笑顔で彼が言う。

「え、なに、どういう……?」

 私が一歩さがると、彼も一歩近付く。まだまだ壁は遠いけれども、どんどん後ろに追い詰められていく感じがして焦る。
 おいでと言うからには私の方から近付くのを期待しているのだろう。腕を広げてそう言われれば、それくらい分かる。でも、なぜ。突然、教室で。

「ほら」

 そう言って彼が私の後ろに腕を回した。目の前に彼の胸があり、――つまり、抱きしめられている。

「あの、ちょ、ジャズ!?」

 ぶわっと全身の体温が上がる。反射的に口から出た声も上擦っていた。思わず彼と自分の間に手のひらを差し込んで突っ張ろうとしたけれども、失敗してほとんど距離は取れなかった。

「なになになに!?」
「イヤ?」

 彼がこんなことをするなんて、珍しい。いつも飄々として、“私が望むなら”何でもしてくれるというスタンスだったのに。ジャズの方からこんなことをしてくるなんて、思ってもみなかったから、全然頭がついていかない。

「しばらくこうしてちゃダメ?」
「だめじゃ、ない、けど……」
「じゃ、遠慮なく」

 距離が近すぎて、ジャズの匂いがする。香水でもつけているのだろうか。ふわりと、少しだけ甘い香りが鼻をくすぐる。胸いっぱいに吸い込んでしまいそうになって、思わず息を止めた。くらくらと目眩がしそうだった。僅かに力の抜けた私の背中を、彼の腕がしっかりと抱き止めてくれた。手のひらの体温が私の心臓の鼓動をさらに早くさせる。

「あの、ジャズ……」
「何?」

 私に先の言葉を促しながらも、彼は抱き締める腕の力をさらに強めた。ぎゅっと引き寄せられて、僅かにあった隙間がゼロになる。ぴったりくっついたら、ドコドコとうるさい私の心臓の音がバレてしまうと思ったけれど、彼は何も言わなかった。息の仕方も忘れてしまって、浅い呼吸を繰り返すせいで、全然気持ちが落ち着いてくれない。窓から差し込む夕日も眩しくて、目も開けていられない。
 それでも、離してほしくなくて、そっと彼の制服の裾を握ると、彼がかすかに笑ったのが分かった。
 

2023.02.19