私は、問題児クラスのアンドロ・M・ジャズが怖かった。

「おっ、早いな。おはよ」

 早いのはあなたの方でしょう?
 そう思ったけれど口には出せなかった。今すぐ逃げ出したいのを一度我慢する。私がもごもごと口の中で言葉を詰まらせている間に、彼が隣に並ぶ。彼の指輪がチャリと小さな音を立てた。
 彼と鉢合わせないようにわざわざ早く登校しているというのに、何故だか会ってしまった。スススと、彼に気付かれないようにこっそり、横にずれて距離を取る。けれどもアンドロ・M・ジャズはそれを知ってか知らずか、再び真横に並ぶ。
 最近、こうして彼から話しかけられることが増えた。彼との接点は一度、クラスメイトと一緒にいたときに挨拶しただけだ。「バイバーイ」と彼らに手を振るクラスメイトと一緒に控えめに手を振っただけ。彼女の知り合いなら無視するのも感じが悪いだろうなと思って挨拶した、その一度だけ。
 それだけの接点だったのに、何故だか彼はそれから私に声を掛けてくるようになった。

「ん? どうかした?」

 そう言って彼が私の顔を覗き込む。そこには悪意だとかそういう裏は見えなかったけれども。でも、信用出来るほど私は彼のことを知らない。
 噂によると、盗癖があるだとか、ひとを騙すだとか。問題児クラスになるだけの人物ではあるらしい。あと、見た目も悪っぽくて、ちょっと怖い。

「あの、気になってることがあって。その、問題児クラスのあなたが、どうして私に近付いてくるのかなって……」

 悩むくらいなら聞いてしまえと思った。
 私は盗って価値のあるものなんて持っていないし、何か特別な地位だとか、人脈だとか、知識だとか、そんなものは一切持ち合わせていないのだ。彼にとって得になるようなものはない。私より近付くべきひとは他にもっと沢山いるように思える。

「私に何を望んでいるんですか?」

 彼の考えていることが分からない。考えが見えないから、どう返事をするべきかも分からない。足を止め、彼に正面から向き合うと、彼の赤い瞳がじっとこちらに注がれた。

「んーっと、朝挨拶したり、昼飯一緒に食べたり、一緒に帰ったり、たまには寄り道したり……とか?」

 彼の答えたそれはあまりにも普通のことに思えた。

「……つまり、あなたは私に仲良くしてほしいってことですか?」

 勘違いだったら恥ずかしいけれども、確認しないことには始まらない。私が尋ねると、彼はぱっと表情を明るくする。

「そう! まずは、イルマくんの言うオトモダチになって、ごはん食べたり遊んだりしたりして……」
「オトモダチ……」

 “オトモダチ”というのは聞いたことのない言葉だけれども、仲の良いひと。親しい相手。やはり、彼の言っていることはとても単純で簡単なことのように思えた。

「なぁんだ。私、あなたのこと勘違いしていたみたいです」

 勝手な印象で怖がって、距離を取ろうとしてしまっていた。もしかすると彼は今までもそういう経験をしたことがあったのかもしれない。問題児クラスの有名人で、一緒に登校するひとにも昼食をともにするひとにも困らないと思っていたけれども。でもそれはきっと、“アンドロ・M・ジャズ”と仲良くなりたいひとではないのだ。

「案外、かわいらしいところがあるんですね」
「へ?」

 もっとこのひとのことが知りたくなった。大人っぽい雰囲気を持つ彼が、目を丸くさせて驚く表情はかわいらしいのだと今初めて知った。もっと、彼の意外な一面を知りたい。

「ええ、なりましょう。オトモダチに」

 そう言って手を差し出すと、彼は驚いたような目でそれを見つめる。

「はは、マジか……」

 改めての挨拶に照れたのか、彼の頬が微かに赤く染まる。彼の方からオトモダチになりたいと言ってきたのに。それがまたおかしくて、ふふと笑い声を漏らすと、その声にこちらを見た彼と視線が絡んだ。

2022.05.22