ジャズ先輩は手癖が悪い。
 それが大きなものでも小さなものでも、何でも本人が気付かないうちにするりと盗んでしまう。これまで彼に物を盗まれた回数は数え切れない。
 本当に、どうしようもない先輩なのだ。

「もう、勝手に盗らないでください!!」
「悪い悪い」

 全く反省していない顔で彼が言う。こうして私が怒るのも、彼が謝罪の言葉を口にするのもこれで何度目だろう。もう覚えていない。
 今私の手には彼に一度盗られたお気に入りのペンが握られている。

「返してほしい?」
「当たり前ですよ!」
「だよな」

 そう言って彼がペンを私に握らせる。盗られても彼は後で必ず返しにきてくれるけれども、だからといって盗んでいいわけじゃない。

「盗ったの本当にこれだけですか!?」
「本当にそれだけ。俺が嘘吐いたことないだろ?」

 そう言って先輩が目を細め、私の顔を覗き込む。確かに彼が私に嘘を吐いたことはない。彼は手癖は悪いけれども嘘吐きではない。この悪癖以外は面倒見が良くてやさしい先輩だということも知っている。でも、だからこそ理解出来ない。

「毎回毎回! どうして私ばっかり狙うんですか! 私、ジャズ先輩に恨まれるようなことでもしましたか!?」
「どうしてって……」

 先輩が呆れたような声で言う。呆れたいのはこちらの方だというのに。

「本当に分からない?」

 そう言って彼が私の瞳を覗き込む。彼の瞳の赤い色がよく見える。
 近い距離に思わず身を引く。けれどもその分ジャズ先輩が顔を寄せて、結局距離は変わらないまま無駄な抵抗に終わった。

「わ、分かりません」

 分かるわけないじゃないですかと答えたのに、彼はじっとこちらを見つめたまま目を逸らさない。その探るような眼差しに何だか落ち着かない気持ちになる。ドギマギと心臓がやたらうるさい。

「ま、そうだよな」

 そう言ってジャズ先輩が屈めていた身を起こす。
 近かった距離が離れたことに私はほっと息を吐いた。

「これも返しとく」

 不意にぽいっと投げられたそれを何とかキャッチする。見るとそれは私のヘアアクセだった。
 はらりと落ちた髪が顔にかかる。

「もー! 返したそばからまた盗らないでください!! ジャズ先輩!」

 ヘアアクセをぎゅっと握りしめて彼を追いかける。先輩は片手をひらひらと振るだけで、そのまま歩いていってしまう。
 私はその後ろ姿をまた走って追いかけていくのだった。

2022.01.29