「これからお出掛けですか?」
「イチョウ先生!」
日が暮れたあとの教師寮の門の前で好きなひと――イチョウ先生にばったり出会した。
今日はもう姿を見れないと思っていたので、偶然会えて嬉しくなる。思わず小走りで駆け寄った。
「今日は仕事が早く終わったので」
「良いですね。かわいい服だ」
そう言って彼が目を細め軽く微笑む。ちょっと繁華街に買い物に行くだけだったのだけれど、買ったばかりのワンピースを着てきて良かったと思った。普段は一度寮に帰ったら買い物に出ることなんて滅多にないのだけれど、今日は何となく出掛けたい気分になって良かった。
顔が真っ赤になってしまいそうなのを、必死で押し留める。これはお世辞。きちんと分かっていて、自分に言い聞かせていたはずなのに、やはりどこか舞い上がっていたらしい。
「ありがとうございます! 大好きなイチョウ先生に褒められて今日は本当に良い日ですっ!」
「え、『大好き」?」
「――!」
彼が軽く驚いた表情で、私の言葉を復習する。そこで初めて私は自分の失言に気が付いた。
――やってしまった!
いくら顔が赤くなるのを抑えても、口が滑ってしまっては意味がない。しかも、こんな、直接『大好き』と言ってしまうなんて。ただの『好き』ではない、『大好き』だ。
「えっとこれは、その……!」
もうすっかり自分の顔が真っ赤になってしまっているのが分かる。恥ずかしさで、じわりと視界が滲む。
大好きというのは、職場の先輩として、親愛と敬愛の意味で。そう自分の失言の言い訳をしたいのに、舌はもつれて一向に言葉が出てこない。
その間にもイチョウ先生はじっとこちらの言葉を待っているかのように見つめていて、そのせいで私の思考はさらに散り散りになってしまった。
こんな様子ではきっと彼は気付いてしまっただろう。
「……っ! あの、私、失礼します!!」
こうなったら逃げるが勝ち。ぺこりと頭を下げて、彼の前から走って逃げたつもりだった。
「“召集”」
数メートル逃げたはずだったのに、パッと、気が付いたときには何故か彼に抱き締められていた。――彼の家系能力だ。
「な!? イチョウ先生、ずる――」
「逃げないで」
耳元で彼の声がする。彼の唇が耳に触れそうなほどの距離。お腹の辺りに回された腕と、背中にぴったりとくっつく体温に、どんどん力が入らなくなる。
逃げようと身を捩ると、ぎゅうと彼の腕に力が込められて、より一層体が密着する。
私を捕まえるためだと分かっていても、心臓はバクバク鳴りっぱなしだった。多分、イチョウ先生にもバレている。
「続き、聞かせてほしい」
低く甘い声で囁かれれば、もうすっかり逃げることなんて出来なくなってしまった。
2022.09.29