「……フルフル軍曹に仕返しをしたい」

 ズズッと音を立ててオレンジジュースをストローで吸う。その音は予想以上にフロアに響いた。私の座るソファの後ろの床をモップがけしていたお兄さんから、カウンターのバーテンダー、さらには少し遠くの席に座っていたお姉さんまでこちらを勢いよく振り返り、ものすごい勢いでこっちまでやってきた。

「あの人が慌てふためく様を見たい!」

 予想外の注目に負けず、拳を握りしめて思いを口にする。そうだ、このまま彼に煮え湯を飲まされたままではいられない。いつも揶揄われ、遊ばれ、おもちゃにされて、さこのままで良いはずがないのだ。
 フルフル軍曹は今日はヴァルハラに顔を出さない日らしく、こんなことを大きな声で喋っても問題はない。

「どうした、どうした!?」
「いいわね!」

 がやがやと周りに人が集まってくる。ここの人はクールに見えて、こういう娯楽が大好きなのだ。きっと私のことも賭けの対象にするつもりなのだろう。
 皆揃ってニヤニヤとしている。

「それなら、女の色気を武器にすべきだわ。私の服を貸してあげましょうか?」

 彼女の着ている服に視線を落とす。胸元はバーンと開いていて、おへそも出ていて、スカートの丈も短い。このクラブに顔を出すようになって慣れたが、かなりセクシーな服だ。とてもじゃないが自分には着こなせそうにない。

「いえ、結構です……」
「奇襲……って言ってもあの軍曹相手じゃなあ」

 そう、あんなナリなのに油断出来ない男なのだ。軍ではかなりの活躍をしていると聞くし、体力でも知力でも私では敵いそうにない。いや、世界中で彼に勝てる悪魔がいるのだろうか。

「不意打ちでキスはどう?」
「酔ったふりして」
「嫌ですよ」

 恥ずかしいし、そこまで賭けてはいられない。それに、そんなことで彼が焦るとも思えない。私が一刀両断すると、彼らは揃って口を尖らせて「え〜」と不満そうにした。悪いが彼らのおもちゃになるつもりもない。

「皆で集まって楽しそうにしてるネ〜?」

 背後から聞こえたその声にびくりと体が反応する。パッと勢いよく立ち上がり、振り返る。

「フルフル軍曹……!」

 そこにいたのはニコニコといつにも増して上機嫌そうな彼が立っていた。笑顔の彼とは対照的に、私は先程の話をどこまで聞かれていたのかと青くなる。
 そんな私の焦りなんて知ったこっちゃないとでも言うように、周りは私の肩や背中を急かすようにドンと押す。

「――ああ、もう! やればいいんでしょ!」

 爪先立ちになって彼の顔に唇を寄せる。万一こんなもので彼が動揺するのだとしたら、安いものだ、と。
 唇が触れただけで音はしなかった。けれども触れた体温はひどく心地良く感じた。

「は?」

 一瞬触れて離れると、フルフル軍曹は目を丸くさせ、固まった。そんな表情の彼は見たことがなくて、凝視してしまう。

「えっ、もしかして動揺してる? やった!」

 思わず喜びの言葉がそのまま口に出る。こんな単純な作戦が上手くいくとは思わなかった。きっとジャズもアロケルも驚くに違いない。驚いた彼の表情がこんなにもかわいらしく思えるなんて。
 ――だから、目の前から発せられる不穏なオーラに気付くのが遅れてしまった。

「……覚悟は出来てるんだよネ?」
「えっ、いや、今のはほんの少しふざけただけっていうか……」

 彼の顔は笑っているのに、目は笑っていない。周りに助けを求めようと見渡したが、皆いつの間にか各々の仕事に戻っていて、関係ないふりをしている。

「逃がさないヨ」

 そう言って強く掴まれた右手がひどく熱かった。

2023.01.03