私は魔界に迷い込んでしまったらしい。
 私を最初に発見したのはひとりの男性悪魔だった。私が迷い込んだのはバビルスという悪魔の通う学校の敷地内で、私を発見した悪魔はその学校の警備教師という職に就いているのだとか。さした抵抗も出来ないまま捕まえられた私は、その後悪魔学校の理事長の元へ連れて行かれ――衣食住と職を与えられた。

「エイトさん」

 後ろから聞こえた物音に振り返ると、そこにはこの部屋の主である学校警備教師が立っていた。
 彼に与えられている一室(警備室と私は勝手に呼んでいる)で、防犯カメラの映像を見るのが私の仕事だった。それだけでなく、本を読んで魔界の常識を身に付けるようにも言われている。本を読んでいたら防犯カメラの映像を見ることは出来ないのだけれど、多分本当は映像チェックなんて必要ないシステムになっているのだろう。大したことの出来ない私のために作られた仕事なのは分かっていた。

「おかえりなさい。今お茶淹れますね」

 何も出来ない代わりに、お茶汲みやこの警備室の掃除や書類の整理整頓を手伝うことにした。何もしないでいるより、手足を動かして働いている方が気を紛らわすことが出来たから。
 三週間の間に淹れられるようになった魔界式のお茶をカップに注ぎ、エイトさんの前に置く。
 彼はこちらを見上げて少しだけ表情をゆるめた。

「ありがとう」

 私が人間だと知っているのはエイトさんと、理事長と、ほんの一握りの教師だけ。私の第一発見者になったことで理事長から世話係に任命されてしまった彼には申し訳ないけれど、この世界で最も頼れるのはエイトさんだけだった。

「そこの棚にキミが好きそうなお菓子が入ってるから食べていいよ」
「本当ですか!? ありがとうございます」

 魔界のどぎつい色の食べ物より元の世界に似た見た目の食べ物の方が食べやすいと言うと、彼は何かと私が好みそうな食べ物を持ってきてくれるようになった。やさしくて、面倒見の良いひとだと思う。
 捕らえたときは怖いと思ったけれど、今はあれが彼の仕事だったのだと思えるようになった。

「今日は一日どうだった?」
「生徒が派手に校舎の壁を壊してましたけど――本当にこの程度は報告しなくていいんですよね?」
「壁にヒビが入るくらいなら日常茶飯事だから問題ないよ」
「それなら、いいんですけど……」

 防犯カメラを見ていると『これは大丈夫なのか』と思うことが沢山あるけれど、大抵は大丈夫らしい。映像チェックの仕事も、私にとってはまるで映画を見ているような気分だ。毎日が新鮮で新しい。

「あ、そういえばモモノキ先生に、マジカルストリート……でしたっけ? そういうお店がいっぱいある場所があるって聞きました。それで、ちょっと行ってみたいんですけど、いいですか?」
「モモノキ先生と?」
「え、いや、モモノキ先生は今日は難しいらしいんで、ひとりで……」

 話の流れで彼女を誘ってみたけれども、今日は仕事が立て込んでいるらしい。休日まで待てばきっと一緒に行く約束をしてくれただろうけれど、毎日定時上がりの私はアフターファイブを持て余しているのだ。

「ダメ」

 きっと彼には却下されると分かっていたけれども、こうも即答されると凹む。防犯カメラの映像を見ているだけで刺激的だけれど、それと買い物の楽しさは全く別物なわけで。
 とはいえ、私のお目付役であるエイトさんの反対を押し切ってまで出掛ける勇気も気概もない。
 がっくりと肩を落とす私を、彼がじっと見つめて、ぽそりと小さく呟いた。

「……キミには身を守る術がないから心配だ」

 いつもと違う声色に、パッと視線を上げると、困ったような表情で笑うエイトさんの顔があった。

2023.01.20