「はぁ〜〜あ……」
「あの、イフリート先生」

 長く吐かれた溜息に、思わず声を掛けると、彼はパッと伏せていた顔を上げた。相手が私だと気付くと、彼はすぐさま指に挟んでいた煙草を灰皿に押し付けて消す。最後の煙が空中に漂って消えていく。
 夜遅いからか、教師服の上着は脱ぎ捨てられ、椅子の背もたれに掛けられている。同じようにネクタイも外され、開けられたボタンの隙間からはいつもは見えない鎖骨が覗いている。
 彼は私に向けて笑顔を作ってくれていたが、その顔からは疲れが滲み出ていた。

「大変そうですね、私も何かお手伝いしましょうか?」
「いや、これくらい大丈夫だよ。ありがとう」

 専門も違うし、私なんかが手伝えるものは多くないだろうとは分かっていたけれど、こうもきっぱり断られてしまうと、彼の助けになれない自分がちょっぴり不甲斐ない。

「でも、もう大分遅いですし、そろそろ寮に帰って休んだ方が……」

 遅くまで学校に残らず、寮に持ち帰って仕事をする教師も多い。今日は会議もなかったせいか、皆早めに帰ったようで、職員室はがらんとしていた。準備室にほとんど住んでいるような教師もいるので全員が全員帰宅したわけではないだろうけれど。
 顔色を見る限り、彼には少し休息が必要に見えた。

「えっ!? 待って、もうこんな時間!? うわー、気付かなかった」

 彼はガタリと音を立てて立ち上がると、壁に掛けられた時計を見て、窓の外を見て、ようやく時間に気が付いたのか慌てて机の上の書類をまとめ始めた。

「って、キミはどうしてこんな遅くまで残ってるの? 危ないから送るよ」
「えっ、そんな、大丈夫ですよ……!」

「いいから、いいから。と言っても、お互い寮住みだから、ほとんど一緒に帰るだけだけどね」
 そう言って彼が上着と、書類をありったけ詰め込んだ鞄を肩に掛けながら言う。帰ると決めたからか、彼は妙にうきうきとした様子で私の背中を押して促す。
 自分の仕事はとっくに一区切り付いているし、帰る前にイフリート先生に一言声を掛けてから帰ろうと思っただけだから今すぐ帰っても全くもって問題はないのだけれど。
 疲れた様子の彼が心配で、休んでほしいと思っていたくせに、一緒に帰るとなると尻込みしてしまう。

「イフリート先生、急に元気になりましたね!?」
「キミが声を掛けてくれたからかな?」

 そう言って彼が微笑みながらこちらを見下ろす。
 多分、彼は疲れ切って変になっているのだ。そう自分に言い聞かせながら、私は真っ赤な顔を隠すようにして俯いた。

2022.09.28