私は先ほどまで、確かに見慣れた道を歩いていたはずだった。今日も朝から晩まで労働かと足取り重く、会社へ向かっていたはずである。
 それが瞬きをした一瞬のうちに景色は変わり、見渡す限りの森が広がっている。

「は?」

 思わず声が出た。
 夢でも見ているのだろうか? 疲れすぎて、歩いている途中で眠ってしまったとか? それとも起きて会社へ向かったというとこから夢なのかもしれない。夢の中で急に場面が切り替わるのはよくあることだ。私はずっと長い夢を見ているのかもしれない。夢の中でこれは夢だと気付くことを何と呼ぶのだっけ?

「どこから入って来たのかな」

 ゾッとして足を止めると鼻先を熱いものが通り過ぎる。前髪の先が軽くチリと焦げ付いていた。

「え?」

 何が起きたのかと頭が理解する前に、声の先を振り返ると、男の人が立っていた。黒い制服のようなものに身を包んだ彼の額には二本の大きな角が生えている。

「……鬼?」

 だから、これはきっと夢なのだ。鬼が出てくるなんて、随分と和風ファンタジーな夢だ。最近そういう漫画を読んだ記憶もないのだけれど、テレビでそういうゲームのCMを見たのが妙に記憶に残っていたのだろうか。まったく覚えていないが。

「避けるなんて、良い勘してるね」

 そう言って彼が一歩ずつ近付いてくる。手には炎を持っている。鬼の妖術だろうか。先ほどはあれを投げて攻撃してきたのだろう。しかし、次も避けられる自信はない。
 夢の中なのに、焦げた臭いはするし、熱さも感じる。おかしい。

「あの、私は決して怪しい者ではなく……気付いたらここにいて、困っていて……」

 後ろに下がりながら、対話を試みる。夢ならばこうして時間を稼いでいる間に目が覚めるかもしれない。私の言葉に目の前の男は怪訝そうに目を眇めた。意外と話を聞いてくれるパターンかも? 
 このまま事情を説明しようとしたそのとき、カサリと足元で何か音がした。

「む、ムカデ!?」

 カサカサと木の葉をかき分ける音に視線を落とすと、そこには大きなムカデがいた。思わず飛び退く。

「ああ、勝手に刺したりしないから大丈夫」

 今度は頭の上に二本の角が生えている。鬼にも色々な種類があるらしい。
 彼は大きなペンチを持っていた。これまでで一番分かりやすい武器に、思わず怯む。白衣を着て、大人しそうな顔つきなのに、それが逆に恐ろしく感じる。マッドサイエンティストみたいな。
 勝手に刺したりしないということは、彼はこのムカデを自由に操れて、今すぐ私を殺せと命令すればムカデは襲いかかってくるのだろう。
 背筋がゾッとした。

「マルバス先生、やりすぎ注意ですよ」

 もう一人、スーツ姿の男が姿を現す。金髪で、目の下には星マークが描かれている。帽子を被っていて見えないが、彼にもその下に角が生えているであろうことは簡単に想像出来た。今までで一番ヒトに近い見た目だが、この状況で私の味方が現れたとはとても思えなかった。
 彼は無表情のままツカツカとこちらへ近付くと、私の腕を掴んで後ろに捻った。

「痛っ……!」
「どうしますか? 敵意はないみたいですが」

 スーツ姿の男が言葉を投げかける先に視線を向けると、もう一人別の男が立っていた。他の二人に生えている角よりは小さいが、茶色い髪の隙間からはっきりとそれが見える。
 あっという間に四対一。これでは隙を見て逃げ出すことも難しそうだ。
 最後に現れた男は、彼らの中でリーダー格らしい。判断を委ねられた彼は私を見て、目を細めた。他の人に比べて、その瞳に冷たい鋭さはなかった。

「困ったね」

 そう言う彼の表紙はどこか微笑んでいるようにも見えた。

 これが私と悪魔の最初の出会いだった。

2023.01.04