「あ、ブエル先生! お疲れ様です!」

 ちょうど授業を終え、教室から出てきたブエル先生と鉢合わせた。駆け寄って挨拶をすると、彼は緩慢な動作でこちらを振り返った。

「ああ……」

 そう言って彼は疲れた声を出した。視線を上げると、ドアの上には“Dクラス”の札が掛かっていた。彼の疲れの原因を察して、苦笑する。

「教え子ですか? また教室を半壊されたとか?」

 尋ねると彼は深い溜め息を吐いた。悩みの種は担任を受け持つ生徒のことなのだろうと簡単に予想が付いた。職員室では問題児クラスを受け持つカルエゴ先生の苦難ばかりが取り沙汰されるが、基本的には、どのクラスの担任も教え子に手を焼いているようだった。特に一年生の担任はどこも大変らしい。

「まぁ、そんなところです」

 彼はそう言うと、一瞬で疲れた表情を隠した。さすが教師だ。切り替えが早い。いつか自分もそんなふうになりたいと思いながらブエル先生の横を歩く。

「先生のクラスの生徒は元気が良いですからね」
「元気過ぎるので困っていますよ」

 後ろから教室を飛び出してきた生徒たちの声が聞こえる。確かに彼の言いたいことも分かる気がした。

「……ところで、その膝どうしたんですか」
「えっ? ああ、さっきの暴れてた生徒を宥めたときに擦りむいたのかも」

 歩きながら自分の足に目をやると、スカートの裾からちらちら見える膝に、うっすら血が滲んでいた。痛みもほとんどなかったので、言われるまで気付かなかった。
 ここへ来る直前に、悪周期の生徒が暴れていたのだ。このままでは他の生徒に被害が出てしまいそうだから対処したのだけれど、きっとそこで擦りむいたのだろう。怪我をしたのならば、そのときしかない。

「擦り傷なので大丈夫ですよ。あとで処置しておきます」

 きっとベテラン教師ならあれくらい軽く収められるのだろう。傷を受けることもなく。早く自分も教師としてもっと力を付けなければ。
 そんなふうに思いながら、ふと隣に視線を向けると、ブエル先生と目が合う。

「あまり無茶はしないように」

 ぽぅっと、彼の手のひらから光が漏れる。視線を下に向けると、擦り傷は跡形もなくなくなっていた。ブエル先生の家系能力だ。

「あ、ありがとうございます……」

 私がお礼を言うと、彼は軽く顎を引いて応える。
 細かいところまで気が付いて、面倒見が良くて、やさしい。何でもないことのように、こうして気遣ってくれる。彼のやさしさに気付くたび、心の奥底がぽうっとあたたかくなって、私も早く彼に頼ってもらえるくらいの教師になりたいと、そう思うのだ。

2022.10.01