「明日ノ宮先生! 資料お届けに上がりました!」
「……キミには用はない」
「ちょちょちょ……!」

 一度開けたドアを明日ノ宮先生が閉めようとする。寸でのところで右足を捻じ込ませ、閉めるのを阻止する。これでも私だってバビル出版の編集者だ。伊達に偏屈な作家先生たちの相手をしていない。

「確かに私は先生の担当ではありませんが! 代わりに渡してくるよう頼まれたんですよ! 佐藤から連絡いっていますよね!?」
「帰れ」

 新人編集の佐藤入間くんはきちんと電話を一本入れておいたと言っていた。仕事が丁寧な入間くんが嘘を吐くとは思えない。
 彼は自分の予定がつかなくなってしまったことを本当に申し訳なさそうにして、でもどうしても早く明日ノ宮先生に資料を渡したいということで、私にお願いをしてきたのだ。そんな後輩のお願いを無碍にすることは出来ない。

「キミには頼んでいない……!」
「でも入間くんが出来なければ誰かが代わりをするんです! それが会社ってものなんです! 先生は会社勤めしたことがないから分からないかもしれませんが!」
「馬鹿にするな! それくらい分かっている! 私は小説家だぞ!」
「分かってるなら駄々こねてないで。入れてもらいますよ」
「あっ!」

 ドアの隙間からするりと体を滑り込ませる。相変わらず明日ノ宮先生の家は執筆のための資料が床に高く積まれている。何となく眼鏡の印象からこういう資料もいちいち本棚に戻していそうなイメージがあるが、修羅場はそうもいかないのだろう。許してもらえるのならあとで軽く片付けを手伝わせてもらおう。

「お茶は出さないからな」
「大丈夫です。資料の説明したら帰るんで」
「……そこにある煎餅くらいなら食べてもいいぞ」
「えっ、いいんですか!?」
「えっ?」

 彼がちらりと視線を向けて示した先には、大袋に入った煎餅があった。大袋入りとはいえ、多分高いスーパーの煎餅だ。いつも私がボリボリ食べているものとは違う。入間くんは明日ノ宮先生のところで超人気スイーツ店の限定ショートケーキを食べたせてもらったなんて言っていたけれど、そうでなくたって随分良いお茶請けだ。思わず目を輝かせていると、ふと明日ノ宮先生の視線がこちらに向いていることに気が付いた。「なんですか?」と尋ねながら振り向くと、彼とばっちり目が合った。

「な、何でもない!」
「あ、すみません。今日持ってきた資料についてですよね。軽く説明させていただきますねー」

 ソファに座らせてもらい、鞄から先生の執筆の資料になればと持ってきた本を数冊取り出す。早速話し始めようと思ったが、先生がなかなか座らない。不思議に思って視線を上げると、明日ノ宮先生はソファの背もたれに手を付いて、がっくりと項垂れていた。

「本当にキミは人を振り回すのが得意だな」

 ずり落ちた眼鏡を人差し指で直しながら明日ノ宮先生が言う。ポリっとお煎餅が割れる音が部屋に響いた。

2023.03.8