「あ、アズくん」

 放課後、もうそろそろ帰ろうかと思っていたところに見慣れた後輩の後ろ姿を見つけた。知り合いの姿を見つけたことで、疲れ切った体に力を込め、背筋を伸ばす。後輩に対して見栄っ張りな反応だと、我ながら思う。
 私の声に勢いよく振り返った後輩はすぐにこちらへ駆け寄ってきた。

「こんにちは。これから師団室に行くところ?」
「あ、先輩……。はい。そうです」

 そう言って彼が曖昧な笑みを浮かべる。なんだか返事も歯切れが悪い。いつもなら元気すぎるくらいの挨拶を返してくれるというのに。今日は調子が悪いのかなと軽く顔を窺い見ると、何やら思い詰めたような表情をしていた。

「あ、そうだ。これさっきもらったものなんだけど、良かったらアズくん食べて。おいしかったから、アズくんも気に入るといいな」

 そう言って鞄の中に入れていたお菓子を差し出す。かわいらしいパッケージのクッキーは、最近クラスで流行っているものだった。最近購買で売り出したものだけれど、特別目立つところに置いてあるわけでもなく流行は局地的だ。だから、きっと彼もまだ食べたことのないはず。
 これから師団活動をするアズくんへの差し入れのつもりだった。もし、悩みでもあるのなら、これで少し元気になってくれたらいいな、と。
 しかし彼は顔を上げると、強くこちらを睨んだ。

「男に、もらったのですか?」
「え?」

 突然の問いの意味が分からなくて聞き返す。どうしてここで男が出てくるのだろう。男子の間でこのお菓子が流行っているという話も聞いたことがない。思い当たる節がまったくなくて、首を傾げていると、アズくんがずいと一歩近付いてくる。

「男の悪魔の匂いがします」
「おとこのあくまのにおい?」

 そう言われてもピンとこない。匂いというからには、自分がいつもより臭いということだろうか。自分の腕を鼻に近付けてくんくんと嗅いでみても分からない。首を傾げていると、その腕を彼に掴まれた。

「貴方の信奉者からもらったのですか? 匂いが移るほど近くに寄ることを許した? その菓子の褒美に?」

 彼の瞳が燃えるように揺れる。その瞳に吸い込まれてしまいそうな心地がした。ふわりと彼の匂いが漂う。

「それとも……その男が“特別だから”ですか?」

 彼の指先があごを撫で、離れる。その意味深な動きで、ようやく彼の言っている意味が理解出来た。

「ごかい、誤解だよっ!」

 慌てて頭と、自由になっている方の手をブンブンと振る。勢いよく、頭が取れそうなほど。

「そんなひといない!」

 私には分からないけれどアズくんは微かな匂いを嗅ぎ分けたのだろう。そして、匂いが移るほど親密な距離を許したのかと尋ねているのだ。
 そんなひと、いるわけがないのに。

「多分、さっき廊下の一部が壊れててぎゅうぎゅうになりながら通ってきたからだと思う。そのお菓子は女の子のクラスメイトからもらったものだし」

 廊下が混在していたからこんな時間になってしまったし、お菓子をくれた女子生徒の名前を挙げることだって出来る。
 彼が想像したような相手もいなければ、誰かに許可を与えたこともない。原因と思われることをつらつらと挙げてみたけれど、説明すれば説明するほど言い訳のように聞こえてしまいそうで怖くなる。

「とにかく、違うから!」

 他の誰に信じてもらえなくても、彼にだけは誤解してほしくなかった。語気を強めて言う。まっすぐに瞳を見つめると、彼の前髪がさらりと揺れた。

「えっ、あっ……。それは、失礼しました……」

 勘違いだと気付いたのだろう。ぼんっと彼の顔が真っ赤に染まる。彼は私の腕から手を離すと、見るからに慌て出した。

「今までこんなことなかったので焦ってしまって……」

 誤解が解けた安堵と、珍しくひどく慌てる彼の姿に、思わずくすりと笑いが溢れた。そう言って表情を隠すように下を向く彼は何だか年相応の男の子という感じがして、少しだけ可愛らしかった。いつもは大人っぽい後輩だと思っていたのに。

「そっか……」

 彼の真っ赤な顔を見ていると、先ほどまでの彼の燃えるような瞳を思い出した。それの意味するところを自分に都合良く想像してしまって、こちらの頬まで熱くなってしまった。
 

2023.02.12