好きな人と運命の赤い糸で繋がっていることが分かったのだ。浮かれてしまうのも仕方ないと思う。 

 私は隣に座ったアズくんの小指に繋がる糸を見て口の端をゆるめた。これが本物かどうかは分からないけれど、浮かれるなという方が無理だ。糸が結ばれている左手をちょっと揺らしてみる。その糸は実在しているのを示すかのようにしっかりと揺れた。私とアズくんにしか見えない糸だけれども、ちゃんと存在しているのだ。

「ふふ」

 思わず小さく笑い声を漏らすと、教壇からカルエゴ先生の厳しい視線が飛んでくる。後ろの方の席だから、先生には小さな私の笑い声なんて絶対聞こえるはずないのだけれど、私のこの緩みきった表情はばっちり見えていたのだろう。慌てて表情を引き締める。

「どうかしましたか?」

 カルエゴ先生が体を黒板へ向けた隙を窺って、アズくんがこっそりと聞いてくる。いつもは入間くんクララちゃんと同じ机で授業を受けている彼だが、今日は離れていると垂れた糸が気になるからと私の席の隣に座っていた。こんなふうに彼の隣に座って授業を受けられるなんて、糸様々だ。悪魔学校は特に自分の席が決まっているわけではなく、当然月一の席替えとかもなく、自由に席を選べる。こうして常に彼の隣に座れる口実が出来るのはとてもありがたかった。授業中に彼の綺麗な横顔を盗み見ることも出来れば、こうしてこっそりお喋りも出来る。

「何でもないよ」

 彼に聞こえるだけの小さな声で返す。彼が不思議そうに首を傾げてこちらを見ている。教室の窓から入ってきた風が私たちの糸を揺らした。

「――今日の授業はここまでだ」

 カルエゴ先生の声が響いて、授業が終わる。生徒たちの雑談の声がガヤガヤと聞こえてくる。私もついいつもの調子で大きく伸びをしたところで、アズくんの視線に気が付いた。いつもきっちりしている彼は授業が一コマ終わったくらいでこんなに気を抜いたりしないのだろう。

「お腹空いたね」
「早く食堂行こ! イルマちが餓死しちゃう!」

 そう言って、前の席に座っていた入間くんとクララちゃんが振り返って声を掛けてくれる。

「行きましょう」

 そう言って彼が手を差し出す。多分、これはエスコートで、貴族である彼にとっては自然なことなのだと思う。

 手を取って立ち上がったあとはすぐに離す。これで私相手にエスコートは必要ないと気付いてくれると良いのだけれど。そう思ってチラと彼の表情を盗み見たが、ニコニコと笑うばかりで、分かってもらえたのか、そうでないのかよく分からなかった。

 一瞬だけ私の手を握った手のひらは大きくて、アズくんも男のひとなんだな、なんて思った。


 普段は女子同士でつるむことが多いのだけれど、今日は入間軍に入れてもらっている。というか、アズくんが自然と私の隣にくるのだ。

 隣に並んで歩くのはまだ少し緊張する。

「糸――」
「えっ!」

 まるで思考を読まれたかのようなタイミングに、思わず大きな声が出てしまった。そんな私の反応に少しだけ驚いたようにこちらへ視線を向けてから、彼は穏やかに続けた。

「糸、短くなりましたね。朝は先が見えないほど長かったのですが、ほら、今はちゃんと貴女に繋がってるのが分かります」
「あっ、そう、そうだね! 伸び縮みするなんて本当に不思議だね!」

 最初は繋がる先が分からないほど糸が長く伸びていたのに、いつの間にか隣に並んで歩くアズくんとの間に少したわんで垂れているだけだ。この小指に結ばれた先がアズくんに繋がっていると、今ならはっきり分かる。

「切れたら命に関わるというのに、あれほど長いのではどうしようかと思ったのですが、この程度の長さなら何とかなりそうです」
「あっ、いや、死ぬって言ったけど、それは、その……」

 もごもごと喋る私に、アズくんが不思議そうな顔をしている。それはそうだ。朝はこの糸が切れたら死ぬと力説していたのだから。口から出任せを言ったことを後悔した。

「その、私にとっては死活問題なんだけど、実際生死に関わるかと言われるとそうじゃないような……言葉の綾というか……」

 あのときはいっぱいいっぱいだったのだ。アズくんに片想いしていたところに、やっと巡ってきたチャンスを逃したくなくて必死だったのもある。

「なるほど? どちらにせよ、長いと気になるので、こうして貴女の隣にいれば安心です」

 そう言って彼が微笑む。彼の言葉が嬉しいのと同時に、騙していることにほんの少し罪悪感を覚える。余計な心配をかけずに、本当のことを言うべきなのかもしれない。

「あの、アズくん……!」

 せめてもう少し説明を付け加えようと、横を歩くアズくんの方を向くと、同じタイミングでぎゅっと右手を掴まれた。
 正直、悲鳴を上げそうになるほど驚いた。何とか悲鳴を飲み込んで彼の顔を見上げる。

「手を繋いでいれば、さらに安心です」

 そう言って彼がやわらかく目を細める。こんなふうにアズくんに触れられたことは今まで一度もなかった。彼は私に対しても丁寧に接してくれていたけれども、こんなふうに親密な距離になったことは今まで一度もなかったのだ。今まで絶対に絶対になかったのに。

「あの、その……!」
「さぁ行きましょう。人気のメニューが売り切れてしまいます」

 きゅっと、繋がれた手に力が込められる。糸が切れないように、そうしてるだけ。分かっていても、心臓がドキドキとひどくうるさかった。

「あー! ふたり、手繋いでる!!」
「く、クララちゃん……!」

 不意にこちらを振り返ったクララちゃんが私の手が繋がれている先を指摘する。彼女に赤い糸は見えなくても、手を繋いでいるのはばっちり見えている。

「ずるい! 私も手繋ぎたい!」
「これは、糸を守るためにだな……!」
「アズアズばっかり、この子ひとりじめしたらダメ! イルマちもそう思うよね?」

 話を振られた入間くんは「えー?」と困ったように笑うばかりだった。恥ずかしくて、離そうとしたのに、逃さぬように彼がきゅっと私の手を握る力を強くした。そのことが、アズくんが私を望んでくれているように思えて嬉しかった。

 このときの私は、赤い糸の相手がアズくんであるということにいっぱいいっぱいで、周りが見えていなかった。

2022.11.26