「アズくん、お願いがあるんだけど……」
「なんだ?」

 私が声を掛けると、彼はすぐに振り返った。放課後の教室にふたりきり。言うなら今しかなかった。

「髪の毛をいじらせてほしいの!」

 両手を合わせてお願いのポーズを取ると、彼は目を丸くさせてこちらを見返した。

「は?」

 彼の肩にかかった髪が、はらりと落ちた。


 アズくんは一瞬驚いたものの、私の勢いに押されたのか、「べつに、構わないが……」と許可してくれた。アズくんを椅子に座らせ、私は後ろで櫛と髪ゴムを持って構える。

「で、では……失礼して」

 意を決して、彼の髪に触れる。細い髪が私の指の間を滑るように落ちていく。
 アズくんの髪は収穫祭以降、伸ばしたままだ。ずっと肩の下あたりの長さをキープしているから、今のところこれ以上伸ばすつもりはないが、以前のように短くするつもりもないのだろう。

「すごい……さらさら……。シャンプー何使ってるの?」

 良い匂いもする。アズくんは私の問いには答えなかったけれど、きっとものすごく良いシャンプーとトリートメントを使っているに違いない。聞いたところで私には手が届かないようなやつ。
 髪の毛を梳きながら、彼の髪の感触を楽しむ。絹のように滑らかで、いつまでも触っていたくなる。

「んん!」

 少々無遠慮とも言えるほど大胆に彼の髪を触っていると、アズくんが大きく咳払いをする。

「いいから早くしろ」

 彼の耳の先が赤い。少し怒らせてしまったのかもしれない。人形のように遊ばれるのも本当は、不本意なのだろう。それでも許してくれるのは、彼から私へのやさしさなのだと思う。今はそのやさしさに全力で乗っかることにする。

「やっぱり編み込みかな。色んなヘアアレンジするには長さが足りないかも」

 さらさらすぎて、すぐに指の間からこぼれ落ちてしまう。

「アズくん何か希望ある?」
「好きにしたいんじゃなかったのか?」
「うーん、そうなんだけど」

 自由に出来ると思うと、迷ってしまう。多分、髪を結びたいなんていうのは建前で、本当は彼の髪に触れたかっただけなのだと思う。だから、今こんなにも満たされた気持ちなのだ。
 彼の細い髪が、窓から差し込む夕日に透けて綺麗だった。

「出来た!」

 結局、三つ編みにした。彼はぴょこんと飛び出た三つ編みを触って確かめている。綺麗に編み込むには、長さが足りず、猫のしっぽのようになってしまった。

「あんまり上手くいかなかったけど」
「そのようだな」

 彼は最後にちらりと三つ編みされた毛先に目をやると、立ち上がった。すぐに解かれてしまうかなと思ったけれど、意外にも彼はそうしなかった。

「ほら、座れ」

 そう言ってアズくんは私の後ろに回ると、肩を押す。

「もう気が済んだのだろう? 次は私が好きにする番だ」

 そう言って彼がにやりと笑う。大人しくされるがままになっていると思ったら、あとでやり返すつもりだったのだ。
 無理矢理私を椅子に座らせると、彼の指が私の髪に差し込まれる。

「あの、アズくん……!?」

 彼の指先が地肌に触れる感覚がこそばゆくて、逃げようとすると、頭を掴まれる。
 私の髪なんてアズくんほどさらさらつやつやではないし、触っても楽しくないと思うのだけれど、彼は上機嫌で私の髪を指で梳いている。すぐそこの机に櫛が置いてあるのに気付いていないのだろうか。「そこにある櫛、使っていいよ」と言っても彼はそれに返事せずに、毛先を弄っている。そこには神経は通っていないはずなのに、何故だかしびれる感覚がした。
 不意に、彼の指先が私の首筋にちょこんと触れた。

「……っ!」

 思わず勢いよく立ち上がる。振り返ると、アズくんが上半身を大きくのけ反らせていた。

「貴様、私に頭突きを食らわせるつもりか!?」
「ごめん! 私、バラム先生に用事があるんだった!」
「バラム先生に? なら、私も一緒に――」
「急いでるから! 先行くね! じゃあまた明日!」

 逃げるように教室を後にする。
 首筋が燃えるように熱い。何だかとんでもないことをしてしまったような、そしてとんでもないことをされたような気がして、今度は顔まで熱くなってくる。それを振り払うように頭を振って、廊下を走る。もう、バラム先生の準備室がどっちだったかも分からない。
 まだ髪に彼の触れた感覚が残っているような気がした。

2022.10.30