「アーズせーんぱい!」
登校中に先輩の姿を見つけ、その背中に抱きつく。ついでに顔を埋めて思いっきり息を吸った。大好きな彼の匂いが胸いっぱいに満ちる。
いつものようにすぐに振り払われると思っていたのに、いくら待っても、彼が体を捩って私を引き剥がす様子も、怒って大きな声を上げる様子もない。
さすがにおかしいと思って、腕の力を緩め、彼の顔を見上げる。
「アズ先輩?」
「うるさい」
呼びかけに、ちらとこちらを振り返った彼の顔は、今まで見たことがないくらい赤かった。きゅっと眉を寄せ、何かに堪えるかのように瞳も潤んでいる。
これは、これは――
「アズ先輩の顔真っ赤です! 風邪ですか!? 保健室、いえ、お家にお迎えを呼びましょう! いやでもそんなの待ってられないです、私が担いで帰っ――」
「だから、大丈夫だと言っている!」
強引に腕を引いて歩き出した私を、彼が逆に引っ張る。つんのめってしまいそうになったけれど、それを堪えてアズ先輩を振り返る。きっと睨みつけるほど強く見つめると、彼は焦って目を逸らした。
「じゃあ何なんですか、その真っ赤な顔は! 熱があるとしか思えません!」
やましいことがあるから、彼は私から目を逸らしたのだろう。つまり、嘘を吐いている。
問い詰めると彼は「うっ」と小さく声を漏らした。
アズ先輩が体調を崩すなんて珍しいけれども、彼はすぐに無茶をする。他の誰が見逃したとしても、いつも彼を見つめている私の目は誤魔化されない。
「別に私、アズ先輩に呆れたり、私には説教するくせにとか、思いませんから!」
そう言うと、彼は一瞬驚いたような表情をしたあとに、再び顔を赤くした。これは風邪のせいではなく、怒りのせいだと分かった。
「貴様は本っ当に鈍感だな!」
「なっ!? アズ先輩には言われたくないんですけど!?」
私の本気の愛の告白を、いつも『からかうな』の一言で済ますアズ先輩には言われたくない。何度私が『アズ先輩の鈍感』と思ったことか。私が鈍感だとしたら、アズ先輩は“鈍鈍鈍鈍鈍感”だ。
「いいから! もう早く離れろ!」
「嫌です!」
逃げられないように、絡めた腕により一層ぎゅうと力を入れる。
「私、アズ先輩のことが好きだから、心配なんです!」
アズ先輩はいつも無茶をするから不安になる。もちろん、私が心配しなくとも、彼には他に心配してくれるひとが山ほどいるのだろうけれど。それでも、今この瞬間、彼の無茶を止められるひとは私一人しかいないのだ。
「ぐっ……!」
彼がまた呻き声を上げる。腕を掴む力が強すぎたかと、ほんの少しだけ力をゆるめる。
離れろと言うけれども、ただそれだけで、振り払われる気配はない。彼はどこか困ったような表情で、私を見下ろすばかりだった。
「……分かった。もう降参だ」
そう言って彼が両手を上げ、目を細める。
そのどこか吹っ切れたようにも見える表情が、あまりにもやさしく、うつくしくて、私は思わずたじろいで一二歩後ろに下がってしまった。
2022.06.06