私は彼にとって『ただの先輩』。だから、この気持ちに気付かれてはならない――。
「あっ! アズくん!」
思わず声を上げてしまってから後悔した。彼が見知らぬ女子生徒とふたりで話していることに気が付いたからだ。彼がイルマくんとクララちゃん以外と交流しているのを見るのは珍しく、ほとんど見たことがなかった。しかも女子生徒は問題児クラスでもない。
「先輩! こんなところで会えるなんて思ってもみませんでした!」
慌てて口を手で押さえたけれども、声はきっちりアズくんに届いてしまったようで彼がこちらを振り向く。それに釣られて彼の隣にいた女の子もこちらを向いて、ばっちり目が合ってしまった。
「ではイルマさんにちゃんと渡しておいてくださいね、同志!」
「待って!」
気を遣ってか、話を切り上げて去ろうとする彼女を引き止める。正直ものすごく気まずいけれど、彼女をここで行かせてしまうのは何だか罪悪感があった。この女子生徒が誰かは分からないけれど、あのアズくんが楽しそうに話していた相手だ。きっと彼にとって特別なひとだと思った。
「お話の邪魔をしてしまってごめんなさい。私も特にアズくんに用事があったわけじゃなくて、姿が見えたからつい声を掛けてしまったというか……とにかく、私はもう帰るところだから!」
だから気にせず話を続けて、と言おうとしたところでアズくんが「先輩」と私を呼んで、彼のきらきらした目に捕まってしまった。
「私もちょうど帰るところでした。良ければこのアズに送らせてください」
いつもならオーケーするところだけれど、今日はそういうわけにはいかない。
ちらりと彼女の様子を窺うとと、丸い目をぱちぱちと瞬きさせ、次の瞬間意を決したような表情で口を開いた。
「……もしかして、おふたりって付き合ってるんですか?」
「な……!?」
「おい、突然何を言い出す!?」
彼女の言葉に思わず言葉を失ってしまった。多分純粋に疑問に思っただけなのだろうけれど、とんでもない爆弾だった。
「そ、そんなわけないよ」
顔が熱い。隣を見ると彼も驚きからか頬が赤くなっていた。あのアズくんにしては珍しく焦っているようだった。
「そうだ、先輩は賢く美しく可憐で愛らしいひとで、私ごときが触れられるような存在ではないのだ! 先輩の隣に相応しいのはもっと強く優秀な悪魔で――」
「アズくんは文武両道、眉目秀麗、その上すごく優しくて素敵な人なんだから、私なんかが……!」
私がアズくんに邪な思いを抱いていると知ったら、彼はきっと幻滅する。例え幻滅とまではいかなかったとしてもきっと距離を置かれてしまう。今の関係を壊すわけにはいかないから。
「アズくんは大切な後輩で」
「先輩は私にとって憧れの人で」
彼の言葉にやっぱり私はただの先輩なのだと再認識する。ズキリと刺す胸の痛みには気付かないふりをして、言葉を吐く。
「そういうのじゃないから!」
「まだそういう関係ではない!」
ふたりで迫ると彼女は「はい……」と小さく返事をしてくれた。とりあえず分かってくれたようでほっとする。
彼にこの気持ちを知られるわけにはいかないのだ。今はまだ。
「いや、もうそれお互い好きって言ってるようなものでしょ」
安心しきっていたからか、そのあとに彼女がぽそりと呟いた言葉はよく聞き取れなかった。
2021.08.15