「アズくん、こんにちは。お邪魔してます」

 迎えてくれたアスモデウス家の長男であるアズくんに挨拶をする。久しぶりに会った男の子が立派に成長していたことに少し驚いた。

「すみません、あいにく母は外出中でして……」
「聞いているわ。お忙しいアムリリス様だもの、こちらこそ突然訪ねてしまって申し訳なかったわ」

 アムリリス様の不在はダヴィデさんから聞いている。緊急の案件で、電話も繋がらなかったことからダメ元で彼女の自宅まで飛んできたがやはり不発だった。アムリリス様は元々お忙しい方だから、簡単につかまるとは思っていなかったけれど。

「良ければこちらでお待ちになってください。紅茶、お好きでしたよね? 実は先日良い茶葉が手に入りまして」
「ありがとう。それじゃあお言葉に甘えさせてもらいます」

 ダヴィデさんからもしばらくすれば戻るだろうからと言われている。うちの人からもそう言われて断る理由はない。

 応接室に案内されて、ふかふかのソファを勧められる。向かいにアズくんが座って、すぐさまダヴィデさんが給仕をしてくれる。

「どうぞ」

 淹れてもらったお茶からは良い香りがする。
 アズくんとは彼がまだ小さかったときからの顔見知りだ。昔は一緒に遊んであげたりもした仲で、彼はそのころから私を姉のように慕ってくれていたし、私も彼を可愛がっていた。
 けれども最近はアズくんが悪魔学校に入学したこともあって、長いこと会っていなかったのだ。もうすっかり立派に成長した彼との距離感をいまいち掴みかねている。前は子どもだと思って気軽に話していたけれども、今は敬語混じりの変な喋り方になってしまう。

「貴女がこうして家にいらっしゃるのは久しぶりですね」
「そうね。別の場所でアムリリス様にお会いすることは多かったのだけれど、こうしてこちらまでお邪魔するのは随分と久しぶりかも」
「もっと気軽に来てくだされば良いのに」
「いや、それはさすがに……」

 言わば上司であるアムリリス様の自宅をそう何度も訪ねるわけにはいかない。アムリリス様はあまりそういうのを気にしないので、今でも呼ばれたりはするけれども。

「私は貴女に会えるのを楽しみに待っていたのです」

 窓から入る午後の光が彼を照らす。ふわりと微笑む彼の表情はひどく柔らかくて、こんなふうに笑える子だっただろうかと驚いた。ふたりきりの応接室には時計の針の音だけが聞こえていて、私の短く吐く息の音すら彼に聞こえてしまうのではないかと思えた。

「あはは、それは光栄です」
「お世辞ではありませんよ」

 笑って誤魔化そうとしたのに、逃げ道を塞がれる。
 私のことを覚えていただけでも驚きなのに、また会いたいと思っていただなんて考えられない。お世辞でなかったら何なのか。

「貴女に会えないので寂しく思っていました」

 ――私なんかが、彼の心の中のどこかにいたと言うのだろうか。

「また遊んでください」

 にこりと彼が微笑む。その笑顔は昔と同じようでいて違う。よく知っている人のはずなのに、知らない人のようで。その綺麗な笑顔にドキリと変なふうに心臓が鳴った。

「あ……」

 ――すっかり勘違いしてしまいそうになった。彼は懐かしさから思い出に浸りたかっただけだったに違いない。

「遊ぶのはいいけど、でもアズくんはもう庭で追いかけっこしたりはしないでしょう?」

 昔は庭で一緒に走り回ったり、かくれんぼをしたり。でもそのどれも今の彼には似合いそうにない。
 そんな私の言葉に彼はぱちりと目を瞬かせる。そのあとに「ぷっ」と小さく吹き出した。

「それも楽しそうですが、今回は食事でも一緒にどうですか?」

 さすがにもうこの年で追いかけっこはないかと恥ずかしくなって縮こまっていると、テーブルの上に乗せた私の手に彼の手が重ねられた。
 彼の手は、いつの間にか私の手をすっぽり覆うほど大きくなっていた。

「有り体に言えば、デートのお誘いです」

 彼が再びにこりと微笑んでみせる。一体これまでに何度こうして女性を誘ってきたのかと思うほど完璧な笑顔だった。
 かと思えば、不意に少しだけ眉を下げて、どこか不安そうに瞳のルビー色を揺らす。まるで懇願するかのようなその顔は、今まで私が一度も見たことのない表情だった。

「どうですか? 私は貴女に相応しい男になれましたか?」

2020.07.05