「アズくん」

 聞こえたのはいつも会いたいと願っている人の声だったけれども、出来れば今でないときに会いたかった。
 まるで怒っているかのように大股で歩いてきた彼女はずいと顔を近付けてこちらを覗き込む。

「寝てないでしょう」

 ドキリとした。この人には何でも見透かされてしまうのだと。彼女は私の顔を見て断言すると、手首を掴んでぐいぐいと引いて歩いた。
 こんな状況でなければ喜んだのに。

「寝て!」

 連れてこられたのは裏庭の隅。そこで私を寝転がらせる。きっと強制的に休まされるのだとは思っていたが、頭を彼女の膝に乗せられるのは予想外だった。
 彼女の太もものやわらかさが気になる。仰向けになった視線の先にある丸い部分が気になる。

「この体勢は……」

 やんわりと進言してみても、布団がないことを謝られる。――まったくもってそんなことは問題ではないというのに!
 どこを向いたら良いのか分からずにあちこちに視線を彷徨わせる。とりあえず、彼女の方を向いてはいけないことだけは分かっていた。

「横になって目を瞑るだけでも良いから」

 そう言って先輩が私の顔を覗き込む。彼女の髪が一房垂れて、頬にかかる。あまりの近さに一言言いたかったけれど、結局言葉にならなかった。

「顔赤い。もしかして熱?」
「今日は陽気が良いですから!」

 自分の頬が熱いのは自覚していたので、額に乗せられそうになる彼女の手のひらを何とか阻止する。額に触れられなどしたら、さらにのぼせてしまうのは目に見えていた。

「今日はとってもお昼寝日和でしょ?」

 私を従わせることが出来たからか、彼女は上機嫌だった。まるで春の日差しのようにやわらかく微笑む彼女の表情は心臓に悪い。

「眠れない?」

 そうだ、目を瞑れば良い。それで万事解決だ。彼女に下心はないのだ。こんな不埒なことを考えているだなんて、悟られるわけにはいかない。実際目を瞑ると少し邪念がマシになったように思えた。

「せんぱい」

 半分うわ言のように彼女を呼ぶ。するとその声を拾って彼女が「ん?」と返事をしてくれる。ただそれだけのことに満たされる。
 トン、トン、と一定のリズムで胸を叩かれると、それまでドキドキと早鐘を打っていた心臓が少しずつ落ち着いてくる。

 彼女のすぐそばは、ひどく心地が良かった。
 彼女が純粋に心配しているだけなのは分かっている。でも、少しでも自分と同じ気持ちを持ってくれたなら良いのに、と思った。

2021.05.02