「アズのやつ、一体どこに行ったんだ。会おうって約束したじゃないか」

 彼を探してあちこちに視線を彷徨わせながら、思わず文句が溢れでた。
 パーティーの最初は彼の姿があったのだ。アムリリス様の隣でアスモデウス家の嫡子として来賓に挨拶をしている姿をこの目でしっかりと見ている。けれども、いつの間にか彼の姿はホールから消えていて、誰に尋ねても行方を知らないと言う。
 会場に姿が見えないのならば外に出たのだろうかと廊下を進んでいく。するとその先にひとりの令嬢の姿があった。

「君は……!」

 淡い桃色の髪に、品のある佇まい――後ろ姿だけだったが、幼い頃の大切な記憶にカチリと嵌る感覚がした。思わず駆け出していた。

「待って、待ってくれ!」

 彼女の後ろで靡く長い髪を追いかける。彼女は私から逃げているのだろう、どんどん人気のない方へ向かっていく。するりと彼女が逃げ込んだのは裏庭だった。
 裏手とはいえ庭園はきちんと整えられ、差し込む太陽のあたたかな光と、花の芳醇な香りに満ちていた。

「ずっと探してたんだ! ずっとこのハンカチを返したくて、ずっとお礼を言いたくて」

 彼女との距離が縮まって、指先が彼女に触れる。断りもなく触れるなんて不躾だと分かっていたけれども、もう逃したくはなかった。

「あのときは本当にありがとう!」

 あの日の私の喜びを、感謝を全部余すことなく伝えたかった。それなのに私はこんな単純な言葉しか知らない。

「ねえ、君の名前は? 良かったら友達になってくれないか?」

 彼女の手首を握る手に思わず力が入る。痛くしないように気を付けながらも、絶対に逃したくはなかった。

「まだ気付かんのか、貴様は」

 振り向いた彼女の顔が見えた。透き通るような白い肌にすっと通った鼻筋、そしてその下の薄い唇から不遜な言葉がまろび出る。
 不意にずるりと彼女の腰まである髪がずれ、同じ色の淡い色の短い髪が覗く。その髪型は私のよく知っている悪魔と同じで――

「えっ、待ってくれ……」

 こちらをまっすぐに射抜く紅玉色の瞳は間違いなく、よく見慣れた人のものだった。

「アズ?」
「気付くのが遅い」
「だって、こんな美少女……!」

 喋る声もアズのものだ。可憐な姿から聞こえるハスキーな声は少々意外だったが、聞き慣れてしまえばさほど違和感もない。上品なドレスも薄っすら施された化粧もよく似合っているのに、夢に何度も見た通りの“彼女”だった。

「アズがこんなにかわいいだなんて、自信をなくしてしまうよ……」
「貴様がその格好で言うか」

 それもその通りだなと笑うと力が抜けた。

「……君だったのか。ずっと近くにいたのに、私は気付かずにいたんだな」
「別に、気にしていない。当人が言うのだからそれでいいだろう」

 これは彼のやさしさだ。
 わざわざドレスを着て貴族会で姿を現してくれたのはあの日の再現なのだと。私が昔のことを気にしていると知ったから、こうしてきちんと“彼女”にお礼を言える機会を作ってくれたのだ、と。

「アズ、ありがとう」

 この格好だって本来は乗り気でなかっただろうに、ぜんぶ私のために。

「ああ」

 いつも持ち歩いていた彼女のハンカチを差し出すと、彼はそれをそっと丁寧に受け取る。
 ――ようやく返せた。
 彼の手の中にあるハンカチを見て私は、何だか落ち着かない気持ちになってしまった。今すぐアズに抱きつきたいような、大声を上げてそこら中を駆け回りたいような、そんな風に体がむずむずして仕方ない。
 この衝動のやり場を私は他に知らなかった。

「――踊ろう!」

 ほとんど反射的にそう言って、パッと両腕を大きく広げる。
 彼はこんな近い距離にいながら、私の誘いがまるで聞こえなかったかのように目を丸くさせて、「は?」と気の抜けた声を上げた。

「私と一緒に踊ろう!」
「おい、私はこの格好でホールに戻る気はないからな!?」
「じゃあここでならいいだろう?」

 ここは人も通らない裏庭だ。まだ会も盛り上がっているこの時間にこんなところへやってくる変わり者はいないだろう。

「誰も見ていないから。私と君だけの秘密、ね?」

 私の差し出す手に、彼の視線が注がれる。そうして一瞬逡巡したあと彼がそっと手を重ねた。それをぎゅっと握って、ゆっくりと丁寧にエスコートする。壊れないように、風に攫われてしまわないように、大切に。
 アズの手を取って、腰に手を回して、ホールから漏れ聞こえる音楽に合わせて体を揺らす。

「貴様、ステップが逆だ! デタラメに踊るな!」
「この格好ならこっちが正しいさ。それに、いいじゃないか。デタラメでも。誰も見ていないんだから!」

 ひらりとスカートの裾が舞う。レースをふんだんに使ったドレスはとても優雅で見惚れてしまう。何となく、アズが私にドレスを着させたがった理由が分かる気がした。

「アズと踊るのは楽しいな!」

 この景色を見ることが出来るのは、きっと私ひとりだけなのだ。

「……そうだな、これも悪くない」

 そう言ってアズがふっと小さく息を吐くように微笑む。そのやわらかな笑みにドキリと変なふうに心臓が鳴った。
 くるくると回る世界は午後のおだやかな光に包まれて眩しい。


 ねえ、アズ、私は君の与えてくれるやさしさと幸福を、これからどこまで返せるだろうか。

2021.02.11