アズと喧嘩をしてからもう一ヶ月が経つ。
 貴族会は月に何度もあるわけではないし、元々彼は貴族会に頻繁に顔を出す方ではない。学校でも問題児クラスはロイヤルワンを教室として使っていて、私たちの教室のある一年棟とは建物が違う。食堂では問題児クラスと一緒になることもあるけれども、イルマやクララと一緒に連んで楽しそうにしている彼にわざわざ声を掛けることも何だか出来なかった。

「そもそも、どうして私から声を掛けなきゃいけないんだ……!」

 意地悪なことを言ってきたのはアズの方だ。だったら彼の方から私に歩み寄り、一言「ごめん」と言うべきではないのか。
 ドカドカと大股で歩いて憤りを発散させようとしたけれどもそれも上手くいかない。気が付くと人気のない一年棟の裏までやってきていた。ぴたりと足を止める。

「……仲直り、したいなぁ」

 その言葉が何よりも素直な気持ちだった。
 アズがいないと物足りない。ぎくしゃくとお互いを避け合っているのも私たちらしくないし、貴族会に行っても楽しくない。着飾ったかわいらしい女の子たちとお喋りしても全然気が晴れない。
 そのことに愕然として思わずしゃがみ込む。アズと友人になる前はどうやって過ごしていたのか思い出せないのだ。それくらい、アズは私の中で大きな存在になっていたことに気が付いた。
 自覚すると急にひとりぼっちになったような、心細い気持ちになる。まるで迷子にでもなってしまったかのような――

「また泣いているのか」

 上から降ってきた声にパッと顔を上げると、薄桃色の髪を光に透かせた悪魔がこちらを見下ろしていた。

「ア、アズ!? どうしてここに……!」

 慌てて距離を取ろうと後退ると、彼が私の手首を掴んでそれを止める。

「ほら、涙を拭け」
「な、泣いてなんか……!」

 慌てて濡れている目元を袖で拭おうとすると、そっちの腕も掴まれた。彼の顔が近付いて、そっと目元にハンカチが押し当てられる。

「擦ると赤くなるだろう」

 アズの前で泣いたことなんかないはずなのに、
こうして彼に涙を拭われるのは何故だか懐かしい心地がした。間近で見る彼の心配そうな瞳は、どこかで見たことがあるような気がする。そう思ってじっと見つめていると不意に彼の視線が逸らされる。

「……この間は、悪かったな」

 そうひどく決まりが悪そうに言うものだから、こちらもふっと力が抜けてしまった。

「いや、いいんだ。こっちもムキになって悪かったよ」

 謝ってしまえばこんな簡単なことだったのかと気が抜ける。
 アズとは貴族会の二翼だなんて呼ばれているけれども実際には個人的な付き合いは多くなくて、このまま彼との関係が壊れてしまったらどうしようと怖かった。そんな風に恐れるくらいだったら早く行動してしまえば良かったのだ。アズが大切な友人ならば、余計な意地なんか張らずに。

「今回のことで分かったよ。私にとってアズがどれだけ大切な存在か」

 私の言葉にアズの紅玉の瞳が丸く見開かれる。
 呆けている彼を置いて立ち上がると、彼の視線が私を追ってこちらを見上げる。

「さぁ、そろそろ日も暮れるし帰ろうか。ハンカチは洗って返すよ」

 手を差し伸ばすと、彼はぱちりとひとつ瞬きをしたあとにその手をじっと見つめたが、結局その手を取った。ぐっと腕に力を込めて彼を引き上げる。

「返さなくてもいい」
「そういうわけにはいかないさ。君、今週末のアスモデウス家主催の貴族会――いくら貴族会嫌いでも、さすがに実家で主催するものには出るだろう? そのとき渡すよ」

 別に学校で渡しても良かったのだけれど、何故だかそうしたかった。仲直りの印に、いつものように貴族会で彼と過ごしたかったのかもしれない。

「アズと貴族会で会う約束をするのは初めてだな。何だかいつもより貴族会が楽しみになったよ」

 私がそう伝えると、彼は困ったような顔で笑った。

2021.02.05