「今日はやけに落ち着きがないな」
キョロキョロと辺りを見回す私を見て、隣に立つアズが言う。
今日は上流貴族もやってくる貴族会。いつも以上に気合いの入った煌びやかな会場に浮き足立つのは仕方ない。けれども今の私はそれだけではなかった。
「いや、この貴族会なら探してる女の子に会えるかもしれないなと思ってさ」
「探してる女の子?」
「小さい頃、一度だけ出会った女の子さ。迷子になった私を助けてくれたんだ」
ほとんど誰にも話したことのないことだったが、彼になら聞かせても良いかと思った。
私がまだ幼かった頃、母に連れてこられた貴族会で慣れない場所に緊張した私は母の目を盗んでこっそり会場から抜け出して、ものの見事に迷子になった。そのとき偶然出会って、ただ泣くばかりの私を慰めてくれたのがその女の子だった。
「でも、私の今の格好じゃあ彼女と再会しても気が付いてもらえないかもしれないなぁ」
当時は私も子ども用のドレスを着てきちんと女の子の格好をしていた。
彼女はドレスもレースがふんだんに使われた素敵なものだったから、もっと上流貴族なのかもしれない。私がおいそれと会うことの出来ないような身分の御令嬢なのかも。それか貴族会になかなか顔を出さない深窓の令嬢か。
それでも今回は滅多に来られないような上流階級の貴族会だから期待していたのだけれど、それも当てが外れてしまったようだ。
「貴様が男装しているのはそいつのためか?」
「まさか。関係ないよ。こっちの方が動きやすくて似合うから着ているだけ」
たまに男装の理由について勘違いされるが、あくまでも合理的な理由の元でこういう格好をしているだけだ。
「ただ、すっごく綺麗な子だったからもう一度会ってみたいなという興味と、あのとき借りたハンカチを返したくて」
会いたい理由はただそれだけ。
あのときの私は呆けていて、まともにお礼も言えなかったのだ。涙を拭うため差し出してくれたハンカチは未だ私の手元にある。次会えたらハンカチを返してきちんとお礼を言おうと思い続けて、もう何年も経ってしまった。
「きちんと洗って次に会ったときに返すと約束したから」
そう言ってアズの方を振り返ると彼は何とも言えない微妙な表情をしていた。彼の瞳が驚いたように見開かれ、その紅色が奥で揺れている。
「そんな昔の約束を今もまだ律儀に守ろうとしていたのか」
その通りだ。再会して、約束を守って、お礼を言って――そして出来ることならあのときの彼女のやさしさに報いたい。
きっと、礼節を重んじるアズならその気持ちを分かってくれるだろうと、思っていた。
「どうせ、貴様はその子どもの顔もよく覚えていないのだろう?」
「うぐっ……!」
そこを突かれると弱い。私の中で大切な思い出ではあるのだけれど、幼い頃の記憶はどんどん薄れていってしまって、今では彼女の顔もぼんやりとしか思い出せない。とても綺麗な顔をした子だという印象は残っているが、その細部まで覚えているかと言われると自信がない。彼女がどんな風に成長したのかも、私の想像でしかなかった。
「でも、会ったら絶対分かると思う」
「分かるものか」
珍しくアズが断言する。
「それに、向こうはもうそのハンカチは返ってこないものだと思っているかもしれないぞ」
確かに返すまで時間が掛かりすぎてしまっている。これではそう思われていたとしても仕方がない。頭では分かっていた。でも、それにしたって。
「どうしてそんなに意地悪ばかり言うんだ!」
「事実だろう」
彼の言うことはどこまでも正論だった。しかしそれでは私の感情が収まらない。
「もういい、アズに話した私が馬鹿だった!」
彼になら私の大切な思い出を話しても良いと思ったのに。アズなら呆れた顔で聞きながらも私が彼女を探すのを手伝ってくれるかもしれない、と。
私が勝手に話したというのに、裏切られたような気持ちになってひどく腹が立つ。
もうこれ以上このことで彼とは一言も口をききたくなくて、くるりと彼に背を向けて大股でこの場を去ろうとした。――アズならきっと私を引き止めるだろうと思っていたのに、それもなかった。
「待たせているのはどっちだ」
そう言う彼の声が後ろから小さく追いかけてきたけれど、わざと目立つように会場の真ん中へ歩みを進めれば周りの喧騒でそれもすぐに聞こえなくなった。
2020.12.18