田崎さんと女の子が歩いていた。私はとっさにこの時間この道を通ることを選択した自分自身を恨んだ。彼の隣を歩く彼女は上から足の先まで流行りのものを身に纏っている。モダンなワンピースがとてもよく似合う。田崎さんの表情は丁度帽子が影になって上手く見えなかった。――見えなくていいと思った。



「さっき通りを歩いていただろう?」

そんな風に声を掛けてくる田崎さんが私は信じられなかった。あのあと無事に大東亞文化協會まで帰り着き、先ほど見たものは忘れてたしまおうと思っていたのに。私とほぼ変わらず帰ってきた田崎さんはなぜわざわざそんなことを話題に出すのか。もしかしてこちらはふたりの姿に気付いてなかったと思っているのだろうか。

「気付いていたんですか?」
「目が合ったと思ったんだけどな」

じゃあ私がそのあとすぐに目を逸らしたことも分かっているだろうに。なんでわざわざこの話題を続けようとするのか、彼の考えていることが分からなかった。

「声を掛けてくれれば良かったのに」

どの口がそれを言うのか。あまりの言い様に私は言葉を失って、口をぱくぱくさせる。

「女性と、ふたりでいらっしゃるようだったので」

何とかそれだけを言う。

「気付いていたんだ?」
「まぁ」

通りをふたりで歩いておきながら何を言う。田崎さんに気付いたのにその隣を堂々と歩く女の子にどうやったら気付かないでいられるのか。彼が何をしたいのか分からずにいると「思ったよりも手強いな」と彼の言葉がぽそりと落ちる。聞き間違いかと、思わず見上げるとそこには少し思案するような様子をみせた田崎さんの顔があった。

「妬いてくれるかと思ったんだけど」

そう言ってちょっと笑ってみせる。その顔に騙されてはいけないのだ。田崎さんの言葉で私は初めてこの会話が全て彼の計算だったことを知った。

「田崎さんいつも皆さんとカフェーに行ってらっしゃるじゃないですか」
「否定はしないね」
「そこでかわいい女の子に声を掛けてること私知ってるんですよ?」
「おっと、仲間内に口の軽いやつがいるようだ」

田崎さんがかわいい女の子の興味を集めてしまうのだと神永さんが愚痴っていた。その他田崎さんの女性関係の噂はあちらこちらで耳にする。別に聞きたいと思っているわけじゃないのに、だ。

「でもそれ、直接見たわけじゃないだろう?」

田崎さんがにやりと笑う。そんな笑い方でも好青年という印象は変わらないのはいっそ素晴らしいと拍手を送りたいくらいだ。少し少年っぽくなるその表情にコロッとやられてしまう女性が沢山いるだろうことが簡単に想像出来てしまった。

「それじゃあ彼らが嘘を吐いていると?」

彼らが嘘を吐く理由、普段の田崎さんの言動、そして今日見た光景を照らし合わせると――

「いや、絶対カフェーで女の子口説いてるでしょう」

直接見なくったって分かる。彼らが嘘を吐く理由、ましてや目当ての女の子を取られてしまうなんてやや不名誉なことを晒してまで吐く嘘がどこにある。それに、先ほどからの田崎さんの言葉はほとんどそういう場で女の子を口説くときに使うそれではないのか。

「大体、いつも女の子口説いてるならいいじゃないですか。田崎さんなら勝率も高いって聞きましたよ? 困ってないでしょう」
「でも君がいいんだ」

その言葉にぐっと詰まる。彼はこの言葉が相手に与える効果を十分理解した上で使っている。人畜無害そうな笑みを張り付けて、女性を惑わせる。

「……カフェーの女の子の気持ちが分かったような気がします」
「じゃあ俺を選んでくれる?」
「何言ってるんですか、もう!」

選ぶのは田崎さんの側のくせに、という言葉は飲み込んだ。真に受けてはいけない。こんなことでいちいち妬いていては身がもたない。

――本当は通りで彼を見掛けたとき、少しの炎が胸で燻ったのだ。

私に甘い言葉を投げかけながらも何人もの女の子を連れ歩く彼の心が分からない。彼女との関係は一体何なのか、昨晩カフェーで出会った子なのか、たまたまさっき出会った子なのか、それともまた別の、特別な存在だったりするのだろうか。いずれにしても私とのような幼稚な関係ではないことだけは分かった。そしてそこまで考えて、じわりと心に滲んでいくものがあった。だからあのとき私は、見なかったふりをしたのだ。

「ごめん」

声と同時に右手を取られたものだから驚いた。ひどく気障な仕草。思わず見上げるとどこか不安そうな表情の田崎さんがいた。彼の両の手に包まれた右手がひどく熱い。

「怒った?」

私は彼のように頭が良くないし、男女の経験だって疎いものだから、これが彼の技術なのか本心なのか見分ける術を持たない。駆け引きなんて出来やしないのだ。

「お、おこってませんけど……」

怒ってはいない。事実を伝えると「良かった」と彼は安堵したかのように少し表情をゆるませる。それにも私の心臓はいちいちドキっとしてしまう。

きっと、これも彼の思惑通りなのだから少しだけ悔しかった。

2016.06.02