「あら、三好さん、戻ってきていたんですね」
「ええ」
東側の窓からうっすら光が差し込む大東亞文化協會の廊下で、彼の後ろ姿を見つけた。洗濯物の山を抱えてそちらを向く私に、彼がにこりと綺麗に微笑む。
「昨夜は帰って来なかったでしょう?」
「ばれていましたか」
「当たり前です」
三好さんからはまだ微かに煙草の匂いがする。
彼はまるでいたずらが見つかったかのような表情で視線を逸らした。機関員の皆が深夜の帰宅になったり、外泊をしたりするのは珍しくない。いたずらっ子のような、いつもの彼より少しだけ幼い仕草。
それを誤魔化すかのように彼が私の腕から洗濯かごを奪う。彼の指先が一瞬だけ触れる。
「持ちますよ」
「ありがとうございます」
こうして運ぶのを手伝ってもらうのも何度目になるだろう。屋上までの短い距離、私が洗濯物を干して三好さんが一服する間のほんの短い時間。彼と共有出来るその少しの時間が私は気に入っていた。
屋上に出ると秋晴れに目が眩む。涼しくて心地良い風が頬を撫でていった。
「そういえば、昨晩神永さんが探していましたよ。いないなら良いとも言っていましたけど」
「何だろうな。心当たりはないけれど、彼を見かけたら聞いてみることにします」
私が洗濯物を運んでもらったお礼を言って、それに彼が何てことありませんよと答える。
これ以上ないほどの洗濯日和。さて洗濯物干しに専念しようとして、ふと気が付いた。
「ああ、言い忘れていました」
私が言うと、彼が振り返る。彼の前髪が目にかかって、その先が風に攫われる。
「三好さん、おかえりなさい」
出来る限りの親愛を込めて言うと、彼は驚いたように目をまるくさせた。いつも全て見通しているかのように平然としている彼を驚かせられたことに何故だか心が満たされる。私がにんまりと口角を上げれば、彼も数度目を瞬かせてから、ふっと息を吐くように微笑む。
「ただいま」
その細められた瞳の中には、秋のよく晴れたあたたかい光が閉じ込められていた。
2021.11.03