はらりと、彼の前髪が額に落ちた。それを彼の手が何でもないことのように直す。そのときに伏せられた目だとか、それを縁取る睫毛だとか、彼の視線の動きひとつひとつから何故だか目が離せなくなってしまった。彼の指がカップを取って、それを口元へ運んでいく。彼が紅茶を一口飲んだかと思うと、その口が突然ぱかりと開いた。

「――それで、僕の話を聞いていますか?」

その言葉にハッとして意識を戻すのと同時に三好さんの顔がずいと目の前に寄ってきたものだからぎょっとしてしまった。思わず仰け反ってガタガタと盛大に椅子を鳴らすと三好さんは「はあ」と溜め息を吐いて自分の椅子に戻った。

「やはり聞いていなかったようですね」
「あの、三好さんの話がつまらなかったとかそういうわけではなくて! えっと、これはその……」

せっかく三好さんとカフェでお茶することが出来たというのに、いつの間にかぼんやりしてしまっていたらしい。私の認識ではこれはデートで、店に入ったときは憧れの三好さんを前にしてひどく緊張していたはずだったのに。

決して彼の話に興味がなかったとかではなく、むしろその逆で彼に集中しすぎてしまったせいで起きた事故のようなものだったのだけれど、それを素直に説明するわけにはいかない。まさかあなたに意識がいきすぎたせいで周りの音が聞こえなくなっていましたなんて言えるわけがなくて、しどろもどろの怪しい返事になってしまった。これでは優秀な推理力を持つと噂される三好さんでなくたって嘘を吐いていると分かってしまうだろう。

「あなたに悪気がなかったことは分かっています。――ただ、何をそんなに熱心に見ていたのかなと思っただけで」

ギクリと身が強張る。私視線が一点に留まっていたことを彼は見抜いている。

「もしくは何がそんなにあなたの頭の中をいっぱいにさせていたんです? 人との会話中にぼんやりとするなんてあなたらしくない」
「何をって……」
「ええ。僕の話を聞き流すほど重要なことは何なのかと思って」

そう言って彼は再びカップを口元へ運び、私と目が合うとにっこりと綺麗な笑顔を作ってみせた。三好さんの笑みはいつもまるで美術品のようだと思う。特にこうして彼が意識して作るときは何だか不思議な力があるような気すらするのだ。うっかりすると吸い込まれてしまいそうな。言うべきか言わざるべきか一瞬の逡巡のあと、気が付くと口を開いていた。

「み、三好さんを……」
「僕?」

ほとんど消えかけた声で答えると彼はきょとんと目を丸くさせた。彼はよくこうして猫のような表情をしてみせる。それが本当に驚いてのことなのかポーズなのか分からないときが半分くらいはあるのだけれど、これはその半分の分からない方だった。

何度かの瞬きのあと、先に堪えきれなくなってひょいと視線を逸らしたのは私の方だった。それを合図にするかのように私の言葉を飲み込んだ三好さんが今度は額に手をやって、長く息を吐いた。彼の手が影になって、表情はよく見えない。彼の溜め息に、さらにじわじわと頬に熱が集まってきて私は頭を抱えた。

余計なことを言ってしまった。

「……分かってて言わせたんじゃないんですか」
「いやだな、僕はそんなに意地悪くありませんよ」

頭を抱えていた腕の隙間からちらりと三好さんの方を見ると、彼も同じようにこちらへ視線を向けたところだった。今目が合ったことに密かにドキドキと心臓を大きく鳴らしていることも彼に知られてしまっているのではないかと思う。

「あなたのことだから僕の話から『今日の夕飯はサバがいいなぁ』なんて考えていてもおかしくないと思って」

言いながら彼の手が口元に移動してそれを覆う。奥に見える口の端は確かにゆるんでいるのだからもういっそ笑い飛ばしてくれたらいいのにとすら思う。私の向ける好意なんてもうずっと彼には筒抜けで、今さらのことなのかもしれないけれど。

「もし僕のことを考えてくれていたらいいなと期待してはいましたけど」

手を外した彼の唇はやわらかな弧を描いている。細められた目は私だけを見ているのがはっきりと分かった。私はまだ彼から向けられる好意に慣れてはいなくて、こんなときまるで子どものように何と答えたらいいのか分からなくなる。誤魔化すようにアイスティーを啜れば、くすりと零す彼の笑い声はそれすらも見透かしているようだった。

2017.08.02