こっそり、彼に渡す分にだけ、秘密の心を入れておいた。


「なあ、もらった?」
「何を?」
「ばっか、チョコに決まってるだろ」

朝からそんな会話があちこちから聞こえる。もちろん私たち女子生徒側も「持ってきた?」「渡した?」なんて秘密の話があちこちで行われているのだけれど。かく言う私も鞄の中に忍ばせたものの存在を思い出して、心臓の辺りがざわめく。朝、廊下ですれ違った友達がちらちらと何か言いたそうにこちらを見ていたが、その視線には気が付かなかったふりをした。何か喋ればそのまま口から心臓が飛び出てしまいそうな気がした。

「三好、何そわそわしてんだ」
「誰がそわそわしてるって?」
「だから三好」
「してない」

不意に耳に飛び込んできた名前に思わずそちらを見てしまった。他人の机に腰掛けて楽しそうにお喋りをしている神永くんと、自分の席にいつものように綺麗な姿勢で座っている三好くん、だ。三好くんもバレンタインに興味があったのか、もしかして特定の誰かのチョコの行く先が気になっているのではと思ったが、私の目に映る三好くんは神永くんが言うような落ち着かない様子など微塵も見受けられず、むしろこの浮ついたイベントに呆れているようにすら見えた。

そのことにほっとすればいいのか、それともがっかりすればいいのか。自分でも分からないでいたら、急にこちらに視線を向けた神永くんとばっちり目が合ってしまった。

「あれ、ちゃんも何だか落ち着かないね? もしかして本命チョコを今日誰かにあげるつもり、とか」
「ち、違うよ! 友達からチョコもらえるからそれが今から楽しみで」
「女の子は甘いものが好きだねえ」

「あはは」と曖昧な笑いで誤魔化しておいた。そんなに分かりやすくそわそわしていただろうか。――でも気になってついつい彼の方を見る回数がいつもよりもずっと多いような気がするのはほんの少しだけ自覚がある。三好くんが他の女の子からチョコをもらってしまわないか、それが気になってつい様子をうかがってしまうのだ。

今のところ三好くんが女の子からチョコをもらった様子は、ない。でも、もしかしたら朝一で下駄箱に入っていたかもしれないし、机の中に放課後呼び出す手紙が入っていたかもしれない。もしかしたらもう登校途中にチョコを渡されて告白されているかもしれない――。

そんなことを心配に思うくらいならさっさとチョコを渡せばいい。いや、本当はこんなイベントごとに便乗したりせず、さっさと想いを伝えたらいいのだ。頭では分かっているのだけれど、イベントに乗らなければ何も出来ない。それどころか私はバレンタインに便乗しても、告白する勇気も、本命だと分かるようなチョコを用意することすら出来ない意気地なしなのだ。それなのに他の女の子の動向ばかり気にしているなんて馬鹿みたいだ。告白する勇気を持たない私は彼女たちと同じ土俵に上がる資格すらないのに。

「ねえ、俺にはチョコ、ないの?」
「神永くんにもちゃんと用意してきたよ」
「えっ、マジ?! やったー!」

鞄からラッピングしたそれを出して手渡せば神永くんは目を輝かせて喜んでくれた。こうやっておねだりしてしまうところとか、渡したそれを素直に喜んでくれるところとか、彼が女の子に人気がある理由が分かるような気がした。思わずくすりと笑ってしまう。

「はい、波多野くんにも」
「おっ、サンキュー」

神永くんに渡した流れでそのまま他の皆にも配り歩いてしまうことにした。きっかけを作ってくれた神永くんには感謝しなくては。きっと、あのままだったらチョコを渡すのを先延ばしに先延ばしにしていただろう。

クラス中に配り歩いて、意図的に最後に回した人の番になったとき、私はこっそり深呼吸した。「あの」と決心して出した声は極端に裏返ったり掠れたりはしていなかったけれど、何となくいつもの自分の声とは違って聞こえた。

「あの、三好くん、良かったら……」

見た目は完全に他の子にあげたものと変わらない。実は中身は特別――なんてこともなく、本当に全部が全部友達にあげるものと何も変わらない。ただひとつ、三好くんにあげるものだけ特別な想いを込めて作ったという以外は。

「これ、さんが作ったの?」
「うん……」

三好くんは食にうるさいと聞くからこんなものは食べないかもしれないということに今さらながら思い当たった。

「あの! フツーのチョコとクッキーで、三好くんの口に合うかは分かんないけど、でも味も一応フツーだから良かったら食べて!」

また「あはは」と笑って誤魔化してみたけれども、今度は先ほどみたいに上手く笑えている自信がなかった。「さん」三好くんが私の名前を呼ぶ。そんなに特別なことじゃない、三好くんにとっては日常のありふれた行為のひとつでしかないはずなのに、私の心臓はきゅうきゅうと締め付けられたようになる。

「ありがとう」

三好くんが小さく笑ってお礼を言ってくれたから、それだけで単純な私は今日は良い一日だったな、なんて思ってしまう。たった一言だけで、一生懸命作ったのも、ありったけの心を込めたのも、全部全部救われたような気分になる。

「こ、こちらこそ、もらってくれてありがとう!」

チョコを作っているときから半分の不安と半分の期待でずっと落ち着かなかったけれど、渡して良かった。三好くんには本命だと分からなくても、渡さないよりは渡した方がずっといい。私の言葉に「大げさだな」と三好くんがまた笑う。それを受けてまた私の心はふわりと浮くように軽くなるのだ。

「お返し、期待しててください」

もう十分もらったよ。

2017.02.15