「三好、ドライブはどうだった?」

海に着き、水着に着替えてから浜辺に降りると、一番に迎えたのが波多野さんのにやにや楽しそうに笑う顔だった。私たちの車の到着が一番最後だったようで、全員集まっているどころかパラソルなどの設営も終わっていた。

「どうもこうもない」
「最高の気分だったか?」

三好さんは一応下は水着のようだがパーカーを着ていて、いかにも海には入りませんよというオーラを出していた。それでも無理矢理でも帰るといった雰囲気はなくて安心する。――またD課の面々に何か言われたようで、表情に若干の不機嫌さは浮かんでいたが。

集合したメンツを見渡せば、もう一つのお迎え部隊も成功したらしく、そこにはきちんとD課係長の姿があった。

「佐久間さんも来てくださったんですね」
「朝時間ぴったりに家まで迎えに来られてはな」

そう言って佐久間さんは苦笑する。どうやらそちらの迎えは穏便に済んだらしい。佐久間さんの鍛え抜かれた体が夏の海に眩しい。三好さんに海水浴場のイメージがないのとは対照的に、佐久間さんは海が似合いすぎていた。

さん、水着可愛らしいですね。似合っています」

そう言って実井さんが褒めてくれる。突然自分へ話題が飛んできたので驚いたが、今日のために新調したのでそう言ってもらえると友達とあれがかわいいこっちもかわいいと散々悩んだ甲斐があるというものだ。

「三好さんもそう思いますよね?」
「ええ、とても似合っていますよ」

話を振られた三好さんはにっこりと綺麗な笑顔を作って言う。実井さんは「それだけですか? もっと他にないんですか?」などと三好さんに突っかかっていたが、私にしてみれば先ほどの言葉で充分だった。似合っていると言ってもらえただけで嬉しい。

「そうだ、三好、ちゃんに日焼け止め塗ってあげたら? 背中とか一人じゃ塗れないでしょ」
「神永」
「更衣室をお借りした海の家のお母さんが声を掛けてくれたので大丈夫ですよ」

海の家のお母さんは私がひとり手足に日焼け止めを塗っているのを見て、気を遣って手伝ってくれたのだ。それはもうしっかり塗り込んでくれたので日焼け対策は万全だった。自信を持って答えると神永さんは「なんだ、残念」と肩を竦め、三好さんはふぅと今日既に何度目になるか分からない息を吐いた。

今日の三好さんは次から次へとD課の面々に絡まれている。行かないと言い張っていた彼が来たのが嬉しいのだろう。もっとも、何やらからかわれている様子の三好さんにとってはすごく楽しいものというわけではなさそうだったが、それでも側から見れば仲が良さそうで微笑ましかった。

「小田切と海の家で何か買ってくるよー」

少し離れたところから甘利さんの声が聞こえてくる。もう既に向かっている最中で言うのはタイミングが少し遅いのではと思ったが、D課ではこれが普通らしい。

「福本は?」
「あっちでギャルにモテてる」
「あいつ何ひとりで抜け駆けしてんだよ! 俺たちも行くぞ!」

田崎さんが指差した方を見ると、確かに福本さんがビキニ姿の女性三人組に取り囲まれているのが見えた。長身での福本さんはここからでも目立つし、細身とは言え鍛えられた身体とさらにはサングラスを掛けた見た目から彼女たちが放っておかないのも分かる気がした。ここにいても黄色い声が聞こえてくる。

それを見て焦ったらしい神永さんに、田崎さんと意外なことに実井さんまでも彼について行ってしまった。どうやらここからは思い思いに過ごすらしく、波多野さんと佐久間さんは「俺たちは泳いでくる」と海へ行ってしまった。

「三好さんはどうしますか? 泳ぎます?」
「僕はここで本を読んでいますのでお構いなく」

三好さんは海にはあまり興味がなさそうだった。私たちが無理矢理連れてきたようなものだから無理もない。パラソルの日陰で取り出した本はどこにでもありそうな文庫本だった。潮風のある浜辺で貴重な本を読むわけがないのは分かっていたが、改めて意外に思う。

彼がいるのは日陰とはいえ、夏の刺すような日差しは読書するには些か眩しすぎるように思えた。じっとりとまとわりつくような暑さも、お世辞にも読書に快適な環境とは言えない。無理に連れてきてしまった罪滅ぼしではないが、せめて冷えた飲み物でも差し入れよう。そう思って、甘利さんや小田切さんがいるであろう海の家へ向かった。三好さんはちらりとこちらを一瞥したが何も言わなかった。

今からなら帰り途中の甘利さんと小田切さんに会えるかもしれない。彼らが買ってきたものを確認して、足りなそうなものを私が買い足そう。何となく、彼らは沢山の食べ物を買ってきそうな気がするから心配無用かもしれないが。

ビーチサンダルを履いていても、溢れる砂がちりちりと熱い。海は燦々と降り注ぐ太陽の光をキラキラと反射させて綺麗で、そこで泳ぐ人たちも皆楽しそうな笑顔だ。私の脇を子どもがはしゃぎながら駆けていく。――そんな光景を眺めながら歩いていると、不意に後ろから声を掛けられた。

「ねえねえ」

振り向くと男の人がふたりにこにこと笑顔で立っていた。歳は自分と同じくらいのようだが、記憶のどこを辿っても覚えがなく、知らない初対面の人だった。

「何か?」

尋ねるとふたりのうち片方の笑みが深くなる。にこにこと随分楽しそうだ。警察という職業柄、困っている人から声を掛けられることが多いので、こんなに笑顔の人に呼び止められるのは少し新鮮な心地がした。――しかし、彼が何か言おうと口を開く前に私の肩がぐいと引かれた。

「彼女に何か用事でも?」

そう言って私の前に出たのは三好さんだった。彼が残っていた場所からはそれなりに距離がある。気が付けばいつの間にか彼が先ほどまで着ていたはずのパーカーが私の肩に掛けられていた。三好さんは本を読んでいたはずでは、と混乱している間に男性二人組はもごもごと何かを言って去ってしまった。

振り返った三好さんは、何か言いたそうな瞳をしていた。なんだろうとじっと待ってみたが、薄く開いた彼の唇から言葉は出てこなかった。パーカーを脱いだ三好さんは、佐久間さんほどではないが鍛えられた体で、こうして見てみれば夏の海もなかなか似合っているように見えた。

「あんまり離れないでください」
「すみません。三好さんひとりで暇でしたか?」

もしかして何か食べたい物とか飲みたい物でも思い付いて私を追いかけてきたのだろうかと思って言ってみれば、今度は信じられないといった目で見られた。

「ナンパに捕まってた人が何言ってるんですか」
「ナンパって……。まだ『ねえ』と声を掛けられただけですけど」
「ナンパに決まってます。神永が女性に声を掛けるときと同じ声のトーンだったでしょう」

そう言われればそうだったかもしれない。神永さんがナンパする姿も遠巻きに見たことがあるくらいだから自信はないが。

「神永たちがあんなに浮かれているんだ。他の男だってそうに決まってる」

三好さんにしては珍しく強く断定して、そのまま彼は私の手を掴んで歩き出す。人が多いとはいえ、はぐれるほどではない。それでも、ぐいぐいと手を引く彼を振り解けはしなかった。

「あんまり僕に心配掛けないでくださいよ」

三好さんは心配してきてくれたのか、と。そこで初めて気が付いた。

「あなたは自分の魅力をもっと自覚してください」

急に、彼に掴まれた手がひどく気になった。行きの車の中ではずっと三好さんの腕を掴んでいたくせに。この夏の気温のせいかもしれないが、指先ばかりが燃えるように熱い気がした。私の肩に掛けられたパーカーの意味にもやっと気が付いて、急激に心臓が鳴り始める。

「三好さん」

彼の名前を呼んだきり、今度は私の方が言葉を続けられなくなってしまった。言いたいことは沢山あるような気がするのに、そのどれも違うような気がして、喉まで出かかっては引っ込んでしまう。

「これですか?」

ちらりとこちらを振り向いた彼はそう言って繋いだ手を軽く持ち上げてみせる。分かっているじゃないかと、少し恨めしい気持ちになる。ちょっと睨んでみせれば、三好さんは何だか愉快そうな表情を向けた。

「今さら。別にいいでしょう?」

確かに、車の中ではずっと三好さんの腕を掴んでいた。これはきっとその仕返しのつもりなのだろう。けれども、私は多分三好さんとは違う理由でこの手を離してほしかった。彼の言う通り“今さら”なのだけれど、“今は”ダメなのだ。あんな言葉を掛けられて、正気でいられる方がおかしい。

「夏だから僕も少し浮かれているのかも」

降り注ぐ太陽の光の下で三好さんが笑う。いつもよりいくらか幼く見える表情だったが、それすらも何だか直視出来なくて思わず視線を下げる。日焼け止めはきちんと塗ったはずなのに、頬がひどく熱い。

それもこれも全部、夏のせいに違いなかった。

2016.09.03