――君に任務を与える。

田崎さんにそう言われたのは海に行く二日前のことだった。海に行きたがっているという噂に違わず、そのときの田崎さんはわくわくと楽しみを隠しきれていなかった。

私に与えられた任務は田崎さん曰く簡単なもので、三好さんを海まで連れて行く――ただそれだけだと言う。しかしそのために朝、本来の待ち合わせ時間よりも早めに集合して三好さんのマンションまで迎えに行くのだという。何とも手の込んだ。

三好さんを連れ出す部隊として私と神永さんと福本さんが選抜された。福本さんの運転する車で私の家まで拾ってもらい、着いた場所は彼のイメージに違わぬ高級そうなマンションだった。

「こんなところに三好さんは住んでるんですか……」
「いやー、いいとこだよね。俺も初めて来たけど」

私がぽけーっと辺りを眺めていると神永さんから「置いてくよー」と笑い混じりに呼ばれる。オートロックのはずなのにエントランスのドアが開いている。福本さんも何でもないように中へ入っていく。警備の厳重そうなマンションだがD課にとってはこれくらい訳ないということなのだろう。彼らが警察官で良かったと心の底から思った。

「ここが三好の部屋だ」

エレベーターで昇り、目的の部屋を見つけると、神永さんは躊躇なくインターホンを連打する。あまりの容赦なさに逆に見ているこっちが心配になってしまった。朝早くこんなに鳴らしてはご近所さんの迷惑にもなってしまうのではないか。きっと防音はされているのだろうが、やたら広く綺麗な廊下はインターホンの音がいつも以上に気になった。

「時間も早いし三好さん寝てるんじゃ……」
「いーや、三好は起きてるはずだ。そうでなくたって髪をセットするためにこの時間には起きてるさ」

答えながらも神永さんはインターホンを押す手を止めない。待ち合わせ時間から移動時間を引いたって随分と余裕があるどころか普通に早い時間なのだ。いくら三好さんでもこんな時間から起きていないのではと思った瞬間、ガチャリと音がして我々の目の前にある扉が開いた。

「待ち合わせ場所が僕のマンションとは聞いてなかったな。ついでに言うと時間も知らされていたものより随分早いようだけれど」

現れた三好さんはいつものようにきちっとしていて、とても寝起きには見えない。服も寝巻きではないし、髪もいつも通りセットされている。もしかして神永さんの言うことは本当だったのかと驚いた。

「やっぱりな。三好、お前の魂胆は読めてるんだよ」
「魂胆って何。それでこの非常識な行動が許されるとは思えないけど?」

朝早くから事前の知らせなく家に押しかけたことだろうか、それともインターホンを連続で鳴らしたことだろうか、それともオートロックのはずのエントランスを何かしらの方法を使って通り抜けてきたことだろうか。正直ここに至るまでに非常識なことをいくつも繰り返している。しかし神永さんはそれを全く気にする様子もない。

「もう身支度は済んでるんだろ? 」
「済んでいない」
「また髪型が決まらないのか? いつもと変わらないって」

そう言って神永さんが笑う。その言葉に三好さんの不機嫌そうな顔が一層深刻さを増した。それを確認してから神永さんはぴたりと笑いを止めて先ほどより少し低い声で尋ねる。

「そこにあるバッグ。こんな時間からどこへ行くつもりだったんだ?」
「どこへも行かない」
「ふたりきりで海?」
「妄想も大概にしろ、神永」
「ま、いいや。ちゃん!」

三好さんと睨み合っていた神永さんが不意に私の名前を呼ぶ。それが合図だった。私は福本さんの後ろから飛び出した。

「失礼します!」

そのまま勢いよく三好さんの腕を掴む。

「ちょっと、さん?!」
「よーし、そのまま三好の腕放すなよー」

神永さんの指示通り三好さんを放さないよう注意しながら彼の腕を引く。三好さんは戸惑いながらもついてきてくれる。三好さんは私に対して文句は言わなかった。神永さんに対しては「おい、いい加減にしろ」などと言ってはいたが。

三好さんが私には甘いのを良いことに私はぐいぐい彼の腕を引いて、先ほど通ったばかりのエントランスを出て、福本さんの車の後部座席に三好さんを押し込めた。押し込めた後に続いて自分も乗り込み腰を落ち着けたところでまた彼の腕を握り直した。これもまた彼らの指示だった。

それを見届けたあとに福本さんと神永さんが車に乗り込む。福本さんがエンジンを掛ければ車はゆるやかに動き出した。カタリと車が揺れるたびに隣にいる三好さんと肩が小さくぶつかった。

さん、もう車に乗りましたし、逃げないので腕を放してもらえませんか」
「騙されるな、。三好は走ってる車からも飛び降りることが出来るからな」

三好さんが解放を求めてきたが、福本さんの言うことには説得力がある。三好さんはあのD課なのだ。アクション映画顔負けのことを普段からやっていてもおかしくない。

「特に信号で止まったときは危ない」
「わ、分かりました……!」

タイミング良く車が信号に引っ掛かったものだから思わず三好さんの腕をぎゅっと抱え込む。女の力でいくら精一杯掴んだところで彼には簡単に振り解けるだろうが、少しでもプレッシャーを掛けることが肝心だと先日の作戦会議の際に田崎さんからアドバイスをもらったことを思い出す。逃す気がないと相手に思わせることが大切なのだと。

ちなみに他の人が押さえている方が逃げられないのではと何度も進言したのだが、彼らは私が適任だと言って聞かなかった。曰く、相手が男だと容赦がなくなるからだそうだ。確かに私相手なら三好さんは乱暴な手段など取らないだろうが、その代わりいくらでも隙をつける気がした。

「どうよ、三好。俺たちのおもてなしは」
「何がおもてなしだ。ふざけるな」
「いやぁ、夏っていいよなー」

車内には気分を盛り上げるサマーチューンが掛かっている。福本さんチョイスなのかは分からないが、これから海に行くんだという期待に胸が膨らんでいくような気がした。

「三好さん、ここまできたら観念してください」
「観念する。観念するから腕を放してください」
ちゃん、ダメだからねー」

助手席からすかさず神永さんの声が飛んでくる。

「ダメだそうです」
「だから逃げないって言ってるでしょう!」
「三好の言うことは信用出来ない。そう言って騙そうとしているのかもしれない」

三好さんが何か言うとすかさずそれを疑う言葉が前方から聞こえてくるのがなんだか面白かった。しかし事実三好さんを敵に回すというのは厄介で、何でも彼の手のひらの上で転がされてしまいそうで気が抜けないというのは分かる。

「三好さんのことは信じたいですけど、もし嘘だった場合、私責任取れないので……」

精一杯やった結果三好さんを連れ出すことが出来なかったのなら彼らも私を責めはしないだろうが、手を抜いたと判断された場合は怖い。万が一にでもD課の彼らに弱みを握られることだけは避けたいのだ。

「……じゃあ今はこのままで良いです。海に着いて放してくれれば」
「分かりました」
「ダメだぞー。三好は着いたら車を奪って逃げ帰るかもしれない」
「神永!」

三好さんが珍しく声を上げる。こういう三好さんは少し珍しい。神永さんだってもう三好さんが本気でそこまでして逃げるなんて思っていなくて、冗談でそんなことを言っているのが私にも分かった。私がくすくす笑うと、三好さんはちらりとこちらを見たあとに、ふぅとまた溜め息を吐いて相手にするのは諦めたとでも言うようにシートに体を沈めた。

車は軽快に私たちを海へ運んでいく。

2016.08.22