――花火大会に行きませんか

そう誘ってきたのは三好さんの方からだった。壁に誰が貼ったのか分からない花火大会のポスターにちらりと視線を向けながらさらりと言ってみせるものだから、私は最初それに気が付かなかった。誰か花火大会に興味がある人が貼ったのだろうか。そんなことを考えながら「え?」と間抜けな声で聞き返すと彼は律儀にもう一度同じ言葉を繰り返してくれた。

ポスターに書いてある日程を見てみるとちょうど仕事のない日だったので、二つ返事でオーケーした。そもそも三好さんから直接お誘いの言葉をもらって断る選択肢なんて最初から私にはなかったが。

さらには浴衣を着てくるようにと言われたのでそれも新調することにした。いつもだったらお祭りも普段着で行くのだけれど、わざわざ三好さんから誘ってもらったのだからきっとこれはきちんと花火大会らしい格好をしなくてはならないに違いない。しかし浴衣を買いにお店まで来たところで、彼の好みをリサーチしてこなかったことに気が付いた。淡い色のかわいらしい印象のものが好きなのか、それとも大人っぽいものの方が良いのか……。分からなかったので、無難かつ一番気に入った紺色の浴衣を購入した。


「よく似合ってる」

待ち合わせ場所に着くとまだ時間前だったのに三好さんはすでに待っていて、すぐに私の浴衣を褒めてくれた。ふわりとやわらかく微笑む三好さんの笑顔に顔が熱くなる。悩んだけれど一生懸命選んで着てきたかいがあるというものだ。けれども三好さんの服装は普段着で、彼も浴衣を着てくるのではないかと勝手に思い込んで期待していた私は少しだけ落胆した。しかし「すごい人混みだから」と言ってするりと私の手を握った彼にドキドキしてそんなことは吹っ飛んでしまった。これで三好さんに浴衣で来られた日には心臓が止まってしまっていたかもしれない。

そんな風に思考も十分に働かないまま、手を引かれてしばらく、彼がそのまま花火大会の会場の方角へ向かっていることに気が付いた。

「あれ、他の人は……?」
「今日はふたりきりのつもりだったんだけど」

勝手にD課の面々で花火大会に繰り出すのだと思い込んでいたものだから、予想外のことに呼吸を忘れてしまいそうになった。課の壁にあったポスターは誰ががどこかからもらってきて勝手に貼ったものだ。だから、花火大会に行きたい人がD課内にいて、それで皆で行くことになって、たまたま三好さんが私を誘う役目になった――そう思い込んで疑わなかった。

「子どもじゃあるまいし、皆で連れ立って花火を見に行くわけないでしょう」

ふたりきりだと分かっていたらもっと気合を入れてきたのに、とこれ以上気合を入れる箇所もないくせに思う。三好さんに手を引かれるままに人混みの中を歩いていく。彼の言う通り、人が多かったが不思議と他人にぶつかることはなかった。するすると目的地へ向かって歩いていく。何でも花火を見るのに良い穴場があるのだと言う。


「ここです。ほら、上を見て」

彼の言葉が終わると同時にまるでタイミングを見計らったかのようにドンという大きな音が響く。それにつられて空を見上げると、ぱらぱらと光が散り落ちていくところだった。

「わぁ」

思わず口を開けて空を見上げてしまう。大きな音の一拍後にまた光が炸裂する。綺麗に一瞬菊型に咲いたあと、一粒一粒が煌きながら降り注ぐ。少し間が空いて、また再び音が鳴る。

「きれいー」

一発上がるごとに「すごい」だとかそんなひどく単純な感想しか口から出てこない。それどころか時には「ほわー」だとか意味を持たない言葉が出てくる。言葉が吹っ飛んでしまうくらい打ち上げられる花火に夢中になっていた。パッと大きな花が開いたかと思えば、次は小さな花が沢山咲く。次は長く尾を引くもの、柳のように光が垂れ下がるもの、赤、青、黄――夏の昼間に熱せられた空気の残る夜空が、様々な色に彩られていく。

白いしっぽが上っていくのを目で追っていると、一瞬軌跡を見失ったあとにパッと大きく光が広がる。そのあとに重なるようにいくつも打ち上げられるのだから目を離す暇なんて一秒たりともなかった。一呼吸ついたなと思っても、すぐにまた音が鳴って、次はどんな色の、どんな形の、どんな大きさのものが見れるのだろうとわくわくする。

記憶の中にある花火はこんなに綺麗だっただろうか。中学生だとかそれくらいに見た花火はもう色褪せてしまったのかもしれないけれど、こんなに眩しく煌めいているようには見えなかった気がする。もちろん田舎の花火大会と今上がっている花火は規模が違うし、あの頃は花火の綺麗さよりも友達と夜に外を歩ける特別感の方が上回っていた。結局はこんなにきちんと花火を見上げてはいなかったし、どちらかといえば打ち上げ花火よりも手持ち花火で遊ぶ方が魅力的だった。――またひとつ音とともに赤い花が打ち上げられてちかちかと光が瞬く。

「ねえ、花火ばかり見ていないで」

急に隣から投げかけられた言葉にびっくりして横を見ると、三好さんの顔がちょうど打ち上げられた花火の緑色の光に照らされていた。彼のちらりと横に向けた視線と私の交わる。それが何でもないような表情だったものだから私の聞き間違いかと思っていると、今度は正面から三好さんが顔を覗き込んでくる。その彼の瞳には妙な熱っぽさがあった。

花火見物の穴場だと言っても、まばらに人影はある。この場で空を見上げていないのは私たちふたりだけだった。それに気が付いてしまうと何だか変に恥ずかしい気持ちになった。

「……花火を見ないで何を見ろって言うんですか。そもそも花火を見に行かないかって誘ってくれたの三好さんでしょう?」

花火の打ち上がる音で周りには聞こえないことは分かっていたが、つい小声になる。隣にいる三好さんにだけ聞こえるような声の大きさで。

「だからってあんな熱心に花火ばかり見られては妬けるな」
「『妬けるな』って……花火じゃないですか……」

今日の彼はなんだか少し子どもっぽい物言いで、そんなことを言われると私はどうしたら良いか分からなくなって、ただ変に心臓が鳴るのを抑えるので精一杯だった。思わず視線を逸らして俯いてしまう。こんなことを言われたのは初めてだ。

「ねえ――」

『僕を見て』と三好さんの視線が、不意に絡められた指先が、いっそ分かりやすいくらいに訴えてくる。ちりちりと何かが焦げ付くような感覚がする。いつもは私ばかりが三好さんを見ている――とてもじゃないがそんな言葉で言い返せなかった。

2016.08.10