「三好さん、星を見に行きましょう!」
「星?」

仕事から帰ってきた三好さんが上着を脱ぐよりも早く、思いついたままのことを口に出せば彼はきょとんと目を丸くさせた。しかしそれも一瞬で、すぐさま彼は私の意図を飲み込んだ。

「今から僕に車を出せって言うんですか」
「あっ……すみません、どうやって行くかまでは考えてなかったです……」
「でしょうね」

三好さんがため息を吐く。さすがに帰ってきたばかりの三好さんに運転させるわけにはいかない。かといって、私が運転しようと提案してみても三好さんは絶対良しとしない。私が運転するくらいなら自分が運転した方がマシだと言うのだ。

「今日友達から星を見に行った話を聞いて。とても綺麗だったと言うから三好さんに見せたいなと思ったんですけど」

言い訳のように言葉を紡ぐ。田舎の星空が綺麗な話はよく聞くけれども、どうやらこちらでも星空がよく見えるスポットがあるのだという。そのときは『へー』と意外に思っただけだったのだけれど、三好さんが帰ってきた音を聞いて、彼と見に行ったらどんなに素敵だろうと思い付いたのだ。――ただ、思い付いただけで現実的なことは何ひとつ考えていなかった。そもそも友達がどこまで星を見に行ったのかさえも聞いていない。

「やっぱり急すぎたので、また今度にしましょう。きちんと計画して――」
「いや、せっかく晴れていて明日も休みだ。行きましょう」

上着を脱いで掛けると三好さんは踵を返して玄関へ向かってしまう。私はまさかと思いながらも慌てて万が一のために鞄だけは引っ掴んでそのあとをついていく。玄関で靴を履いている後ろ姿に追いつくと、彼はくるりとこちらを振り返った。一段下に立つ三好さんはいつもより視線が近くて彼の瞳がはっきりと見えた。

「僕も君と見てみたい」

私が空中に伸ばして止まったままだった手を掬い上げるようにして握った。いつもぎゅうぎゅうと手を握るのは私の方だったから何だか落ち着かない気持ちがした。

私が口を利けないでいるうちに三好さんは手を引いて外へ連れ出そうとする。私は靴を引っ掛けてそれについていった。彼は少々強引に私の手を引っ張りながらも、私がギリギリついていける速度で歩く。駐車場に来ても彼はこちらを振り返らず、「三好さん」と何度名前を呼んでも返事がない。ついに彼の所有する車までついてしまい、三好さんが車のキーを取り出すと私はいよいよ焦った。

「三好さん、あの、私夕飯用意して――」
「明日食べればいい」

そのまま助手席に押し込められてしまう。確かに料理はどちらにせよ温め直さなければならないから今日食べようとも明日食べようともさして変わりはない。しかしそんなに三好さんは星が見たくなったのか。そんなに星が好きだったのだろうか。

私が助手席に腰を落ち着けると三好さんも運転席に乗り込み、素早くスマートフォンを操作する。スマホの明かりが薄ぼんやりと彼を照らしている。ほんの数秒操作するとそれをポンとこちらへ投げて寄越した。結局何が彼に火を付けたのか、分からないままに車が発進する。

深く考えずに発した言葉がこんなことになるなんて思っていなかった。確かに星を見たいと思ったのは本当だったのだけれど、こんな風に三好さんがやや強引に私を連れ出すなんて意外だったのだ。この車は一体どこまで行くのだろう。三好さんのことだから何の計画もなしに遠出なんてしないだろうが、行き先を告げられていないので自信はない。――でも、三好さんとならどこまででも良いとも思った。

赤信号で止まった隙にちらりと運転席の彼を盗み見る。ハンドルを握る彼の腕はシャツの袖がまくられていて、横顔はテールランプに照らされている。車を運転する三好さんはやはり様になっているなと思いながら見つめていると、私の視線に気付いた彼がふと表情をゆるめた。

「どうしました? 僕に見惚れでもしましたか」
「はい」
「……君は思ったことを素直に口に出しすぎです」
「三好さんが言わせたんじゃないですか」

隣から三好さんの腕が伸びてきてくしゃくしゃと私の頭を撫でる。それが心地良くて、もっと撫でてほしくなって少しだけ彼の方に身を寄せた。

「今はこれしか出来ないのがもどかしいな」

運転席で彼が小さく言葉を落とした。



「わー、綺麗ー!」

車から降りて私が思わず駆け出すと後ろから「転びますよ」と声が追いかけてくる。その言葉に少しだけ足を緩めると、私の隣に三好さんが並ぶ。

「こんなに綺麗に星が見れる場所があったんですね!」
「僕も、ここまでとは思わなかった」

大きく開けた空に星が散りばめられている。大小も光の濃淡も違う星たちが濃紺の夜空の上に視界いっぱいまで広がっている様は都会では滅多にお目にかかれないものだ。建物の隙間から見る空とは違い、いくら首を反ってもそれは続き、気を付けなければそのままひっくり返ってしまいそうだった。

「まさに満天の星空ですね! 素敵……」

思わずため息が零れる。囁くような声色でさえ、星々に拾われてしまいそうなくらいだ。隣に立つ三好さんも星空に感動しているようで、私の嬉しさは簡単に二倍になった。

「三好さん、あの星は?」
「どれですか」

私が夜空を指差すと彼がそちらへ視線を向ける。ほらあの星ですよ、と私は無数ある中のひとつを彼に伝えようと手を伸ばす。こんなに星がある中で“あの星”などと言っても伝わらなくて当然なのに三好さんがそれを探して、適当に明るい星だろうと見当をつけてくれているのが分かった。

「北斗七星は見つけられるでしょう?」

小学生の頃、夏休みの宿題で探したことがある。あの柄杓型の形を思い浮かべながら空を見上げると案外すぐに見つけることが出来た。記憶の通り明るい星たちが特徴的な形で並んでいる。

「北斗七星ってこの時期でも見られるんですね」
「大抵どの時期でも見られますよ」

三好さんは当たり前のことのように言うけれども、そんなことすら知らなかった私は純粋に感心してしまう。三好さんは星にも詳しいようだ。彼が天を指差してすぅっと星をなぞる。

「その北斗七星の柄から伸ばしていって見える明るい星がアークトゥルス、さらにその先の白い星が――」

そこで不意に三好さんが言葉を切った。いつもならきっとこのあとあの星は何等星で、あれは何座で、神話ではどうこうという話が続くはずなのに。そして私はその話を聞いているのが好きなのに。一体どうしたのだろうと彼の方を向くと左頬に手が添えられた。



少し、掠れるような声で名前を呼ばれる。彼の後ろでちかちかと星が瞬くのが見えた。夏や冬の夜空に比べると少し朧げに見える星たちは、その分やさしい光を持っているように見えた。三好さんの右手がそっと控えめに私の頬を撫でる。

「目くらい閉じてくださいよ」

ぼんやりとしている私に、三好さんが小さく笑いを零す。そこで私は初めて彼の意図に気付いたのだった。

「こういうロマンチックなのを期待してたんじゃないんですか?」

期待していなかったと言えば嘘になる。友達から話を聞いたときはそういうのも素敵だなあと確かに思ったのだ。確かに思ったはずなのに、実際に満天の星空を前にするとすっぽりそんなことは頭から抜けてしまって、ただただ感動してしまった。私はすぐにひとつのことで頭がいっぱいになってしまう。

「――なんて、僕が君にそうしたかっただけだ」

三好さんが左手も私の頬に添えた。今度はそっと目を閉じる。目を閉じても瞼の裏に星がやわらかい光で瞬くのが見えるようだった。

2016.08.06